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「わからなさ」と付き合うーー文学作品の場合:「わからない」から、試行錯誤へ

  • 21 時間前
  • 読了時間: 4分

更新日:3 時間前


「わからない」から、他者に出逢えます。

「わからない」から、世界は広がります。

朗読は、「わからなさ」を愉しめる読書法です。


☆…。…。。。…☆☆。。。……。


他人の頭の中や心の中は、わかりません。

文学作品の語り手に関してはどうでしょうか?

語り手は他者ですが、その言葉は「(世界をどう受け取っているかという)認知の言葉」だと考えられます。だからこそ、朗読という読書法で取り組めば、いずれはわかるかもしれません。

でも、スタートは「わからない」です。わからないことを前提に、朗読は始まります。


潜在意識が「わからないのは失敗」と捉えていると、わからないことは苦痛になってしまいます。苦痛を避けようとして、「わからないことがわからない」状態になるのでしょうか。



◾️「私にはわかっている」が前提のとき


「私にはわかっている」を前提にしていると、文学作品という「わからない」ものであっても、立ち止まることなく、すぐに理解可能な形へ置き換えて、わかったことにしがちです。結果として、音声が目的となってしまいます。


あるいは、「わからない」現実を遠ざけるために、「忙しいから朗読してるひまなんてない」とか、「自分には合わない作品だ」とか、「意味不明な作品だ」とか、もっともらしい理由で自分を納得させてしまうかもしれません。



◾️「私にはまだわからない」が前提のとき


一方で、「私にはわからない」を前提にできると、文学作品を「文学作品として」受け取る余地ができます。「新しい回路」が生まれる可能性が開かれます。そして、その新しい回路は、じつは現実世界の「わからない」に直面したときにも役立つと感じています。


朗読という読書法は、「わからない自分」を許容します。だから、わからないことを「そのままの形」で受け取ることから始められます。その「わからないこと」は、朗読を続けると、ときには「もっとわからない」様相も見せながら、それでも少しずつ、「わかること」に変わっていきます。


この過程で、自分の中から生まれる試行錯誤や、仲間とともに味わう試行錯誤が、朗読の醍醐味です。その一つひとつを面白がっているうちに、徐々に、語り手という他者との距離が縮まっていくのです。


語り手が生きている作品世界を、自分ごととして生きていると実感して、そこでようやく、「あ、わかったかもしれない」と思えるようになります。



◾️試行錯誤について


仮説と検証を往還する中で、身体を使った試行錯誤を面白がること。これこそが、脳の耕しとなり、新しい回路が生まれやすい状態、つまり、無数の芽吹きを促す「柔らかな土壌」を準備するのだと思います。


もうわかっている、という前提に立っていると、朗読講座で試行錯誤の例を話しても、「なぜ、わざわざそんなことをする必要があるの?」「まだ先に進まないの?」と、じれったく感じてしまうかもしれません。


自分自身を振り返ってみましょう。


「私はすごく考えて、語り手の体験がわかった。だから、あとは体験したら、語り手と同じ言葉が出てくる」ーーそんなふうになっていませんか?


自分の身体を使った試行錯誤なしに、他人の体験に近づけるのでしょうか。「わかった」のではなく、既存の回路だけを一生懸命に使って「わかったつもり」になっているのではないでしょうか。


「じゃあ、試行錯誤ってどうすればいいの?」と戸惑って、そのときはじめて、虚構世界のイメージをさらに明確にしていく必要性を実感し、そして、試行錯誤する意味を見いだしていけるのだと思うのです。


戸惑いながら少しずつ試行錯誤することに慣れていって、やがて、「あ、わたし、試行錯誤をたのしんでる」と、ふと気づく。そんな流れなのでしょう。



◾️環境をデザインする


「理解を急がせる環境」の中で、「すぐわかろうとする」ことが習慣になっていると、わからないことがわからなくなって当たり前だと思います。「わからないことが、わからないのかも…」と気づいたら、その瞬間から、私たちは変わり始めるのかもしれません。


まずは、「理解を急がせる環境」を離れる選択肢を持ってみませんか?


朗読が属する「読書領域」は、理解をせかされずに、安心して、自分のペースでのびのびと過ごせる環境です。


そして朗読は、「わからなさ」と付き合い続ける読書法です。朗読を通して、「わかったことにせず、投げ出さず、気負うことなく考え続ける」ことを、身体で習得できる気がしています。



◾️まとめ


私たちは、ある時点からずっと、ゴールを目指し、目標を掲げて生きてきたのではないでしょうか?


読書領域には、達成すべきゴールや目標などありません。時間をかけて、語り手との距離が少しずつ近づいていく悦びがあります。


そこでは、幼いころのように、自由に試行錯誤をたのしむことができます。だからこそ、幾つになっても、新しい回路が生まれるのかもしれません。


思考停止にならずに考え続ける習慣は、新しいことに対して、自らを閉じずに、逃げずに、開き続けることにつながるのでしょう。


もちろん、ときには閉じてもいいし、逃げてもいいのだと思います。現実世界では、そのほうが上手くいくことが多いのかもしれません。でも、「考えないことを自分で選んでいる」という自覚は、私たちにとってずいぶん大切なのだと感じています。

 
 
 

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