

読書領域の朗読:人間だから出来ること
人間の強みは、 身体を通して世界を感じとれる こと。そして、 体験から学べる こと。 なのに、なぜ、それを手放すのでしょう? 身体を置き去りにして、すぐに「わかった気」になり、「うまくやろう」とする。 うまくやって、いい評価を得られても、内面は満ちていかない。 だから、次から次へと動き続けるしかない。 これでは、たとえ知識が増えても、眼差しを深めることは難しいのかもしれません。 では、いったいどうすればいいのでしょうか? 立ち止まって、感覚をひらき、身体で味わうんです。 自分の身体に委ねるんです。 ■ 身体を信頼する 身体を使うから「体験」になります。体験に伴って感情が動くと、それは記憶として残ります。 その記憶を積み重ねた「唯一無二の自分」だから、どこまでも愛おしいのかもしれません。 「読書領域の朗読」は、私たちに、身体というかけがえのないパートナーを再確認させてくれます。 ⚫︎ 虚構の作品世界を、自らの身体で生きようとする ⚫︎ 身体の違和感に立ち止まり、丁寧に向き合い、新たな気づきを得る ⚫︎ 仲間と「体験」を共有し、理解や感覚を更新す
14 時間前


読書領域の朗読:世界の受け取り方が変わっていく
前回のブログでは、サロンドマリコの方法論をご紹介しました。 今回は、「読書領域の朗読」が私たちにどのような変化をもたらすのか、考えてみたいと思います。 ■ 読書領域の朗読は… 読書領域の朗読は、文学作品の言葉を、急いで意味に回収しません。つまり、解釈してわかったことにしません。もちろん、(解釈を反映させて)表現することもしません。 言葉が生まれる脳・五感・身体に思いを馳せて仮説を立て、自らの身体で検証します。 仮説と検証を繰り返していると、ゆっくりと語り手が近づいてきます。語り手に接近したとき、自分のなかに初めての感情や感覚が立ち上がる…それを待ちます。 ■ 朗読がもたらすものは… 「読書領域の朗読」を通してこのような習慣を持つと、人の言葉を、結論よりも背景ごと聞けるようになります。出来事を、善悪や成功失敗だけで切らなくなるし、すぐ理解できない他者や状況に、居場所を残せるようになります。 これは、人間や出来事を味わえる脳になるということなのでしょう。 文学体験を目指す「読書領域の朗読」は、 ・共感力が育ちます ・感性が豊かになります...
7 日前


サロンドマリコの方法論:「読書領域の朗読」入門テキスト
(注)ここで扱うのは、上演領域における「読み語り」ではなく、読書領域の「朗読」です。 サロンドマリコでは、読書領域の朗読を「語り手の体験と同じ体験を試みる体験行為」と定義しています。(世界を認知する身体の反応として声は自然に出ます。意識的に声を出す表現行為とはまったく別のものです) 朗読は、「仮説と検証」を繰り返す読書法。検証の際には身体に助けてもらいます。その点がとてもユニークです。この反復を愉しんでいるうちに、語り手との距離は徐々に縮まります。 語り手に寄り添って歩けるようになると、私たち朗読者も(自分ごととして)作品世界を生きることができます。 今回は、朗読の具体的なプロセスをご一緒しましょう。こうしなければ…という決まりごとではありませんが、やっていくうちに、自然に身体に馴染むと思います。 最初のテキストは、詩や児童文学などの短い文学作品です。「左脳」「右脳」という言葉は、情報処理の傾向を表すものとして便宜的に使っています。 ■ 準備①:一通り最後まで読む ひとまず最後まで読みましょう。左脳(言語脳)メインで情報を処理しながら、あ
2月8日


読書領域の朗読:語り手/作者/朗読者の関係を考える
サロンドマリコの提唱する新しい朗読は、「読書領域の朗読」を指します。 ここでいう 読書領域 とは、表現を前提とする上演領域とは異なり、あくまで「読書そのもの」を扱う領域です。詩や小説、エッセイなど、すでに音声を内包している言葉を対象とします。朗読者にとって、 声は「出す」ものではなく、 認知とともに 自然に「出る」もの。 体験の副産物です。 一方、上演領域では、台本と呼ばれる「音声になる前の言葉」を扱います。どのように声を出して表現するか、その技術を磨きます。したがって、上演領域の読み語りと、読書領域の朗読は、まったく異なる行為です。 読み語りが「聞き手に向けた表現行為」 であるのに対して、 朗読は「作品理解を深める読書法」 といえます。サロンドマリコでは、朗読を次のように定義しています。 朗読の定義:語り手の体験と同じ体験を試みる体験行為 今回は、読書領域における「 語り手 / 作者 / 朗読者 」の関係について考えます。 朗読は、声を目的とする表現行為ではなく、語り手の追体験を試みる体験行為だ ということを、最初にあらためて共有しておきましょ
1月23日


読書領域の朗読:たとえば丁寧に観察する
いつもブログをお読みくださってありがとうございます。今日も「朗読de脳育」愉しんでいらっしゃいますか♪ さて。わたしたち読書領域の朗読者は、詩や小説の言葉が生まれる際の五感の働き・脳の働き・身体のありようを ていねいに探り 、〈語り手〉や発話者(登場人物)に対する理解を少しずつ深めていきます。その都度、体験を試みながら。(←『新しい朗読ー語り手の体験を生きる読書法』p34・37) それは、 虚構の作品世界を、語り手とともに生きて、新しい体験をしたいから です。結果として、言葉が内包している音声と出会えるかもしれません。 それでは、実際に朗読していきましょう♪ ■ ちいさな、ちいさな、りすでした。 今回は、森絵都さんの作品『こりす物語』の冒頭部分を、いっしょに朗読してみましょうか。〈語り手〉は次のように語っています。 ちいさな、ちいさな、りすでした。 音声表現するひと(=声を与えようとするひと) は、観察と推察にさほど時間をかけず、(わかったわ。この〈語り手〉は、りすがちいさいことを強調したいのね)と 解釈 して、その 解釈を音声表現に反映 させよ
1月12日


上演領域の読み語り/読書領域の朗読:陸上と水中の違い
[朗読の整理] ①従来の朗読(聞き手に向けた音声表現行為)を上演領域に戻し「読み語り」と呼ぶ ②読書領域には新しい朗読(語り手の追体験を試みる体験行為)を「朗読」として据える 上演領域は陸上、読書領域は水中、そんなイメージです。 ■ 優劣の問題ではなく、環境の違い 「読み語り」と「朗読」は、比べるものではありません。前提となる環境そのものが違うからです。 陸上では、誰もが当たり前のように歩きます。 ですから、「歩幅」「歩く速さ」「歩くフォーム」など、さまざまな歩く技術が、最初から語られても、さほど違和感はありません。 でも、水中では、そうはいきません。 じつは、 誰だって水中で浮きます。 でも、歩くことがすべてだと思っていると、浮くことが難しくなります。 水中でも歩こうとするからです。 もちろん、水中ではうまく歩けません。そして、 「歩こう」という意識のままでは、浮きません。 浮くこと。それがすべてです。 浮くためには、歩こうとしないことです。 「力を抜くこと」を覚え、「沈まない」と知ることです。 ■ つべこべ言わずにやる 歩くことがすべてだと思
1月6日


新しい朗読:読書領域の学びと体験
〜読書と朗読が繋がることを願って〜 長い間、朗読は、「声の技術」や「表現の巧拙」で評価される、いわば上演領域のものとして捉えられてきました。 しかし、文学作品を味わう読書領域における朗読は、音声の在り方も価値も、まったく別の座標の上にあります。 ここで行いたいのは、 読書領域と上演領域の区分を使い、いま「朗読」と呼ばれている行為を整理する ことです。 上演領域で行われる「読み語り」は、上演台本を創意工夫して音読する(読み上げる)表現行為。読書領域で行われる「朗読」は、文学体験を目指す体験行為。このような整理を提案します。 1.「読み語り」(上演領域)とは何か 上演領域で行われる「読み語り」は、文字や文章を、声に乗せて 聞き手に届ける表現行為 といえます。 ■言葉にふさわしい声を自分がつくる ■ 声を出す。間や声色、感情表現など、創意工夫が中心 ■ 聞き手の感動や、聞き手とのコミュニケーションが目的 ■ 上演を前提に創作された台本を扱う ■ 読書領域における詩や小説・物語・エッセイも、上演台本とみなされる この領域では、表現者の技術や表現力が価値
1月4日


あけましておめでとうございます(^^♪
あけましておめでとうございます 楽しいお正月をお過ごしでしょうか♪ 昨年は、皆さまとの歩みの中で見つかった新たな朗読を、『新しい朗読ー語り手の体験を生きる読書法』という本にまとめることができて、また、そこからご一緒に学びを深めることができて、本当に幸せな一年でした☆ 皆さま、こころよりありがとうございました! 本年も、ワクワクしながら取り組んでまいりましょう♪どうぞよろしくお願いいたします(^^)
1月3日
