

「朗読」を、読書領域に:表現の座標を離れるということ
(この記事は、前回のブログ「朗読の地図」とあわせてお読みいただけるとうれしいです) たしかに長い間、朗読は「声の技術」として捉えられ、「表現の巧拙」が評価されてきました。 そのような土壌があるからでしょう。読書領域の朗読(サロンドマリコの「新しい朗読」)について語っても、多くの人が「従来の朗読(表現としての朗読)」を基準点に置き、そこからの 「差分」で解釈 しようとします。 それは無理もないことですが、そのままでは、本質に近づくことが難しくなります。 なぜなら、サロンドマリコの「朗読の地図」における 従来の朗読は、 読書領域の朗読とは全く別の座標軸を持つ 「上演領域」に存在する からです。 上演領域では、「うまく読めているか」「聞き手に伝わっているか」をつねに外側から気にしている自分がいますが、読書領域では、気づいたら虚構世界を生きていて声のことなど何も考えていない自分がいます。 それでは、「読書領域の朗読」をサロンドマリコがどう捉えているのか、あらためてみていきます。 1.「声」は結果であって目的ではない 従来の朗読観に引きずられると、「声をど
1月1日


朗読の地図ーー読書領域における「新しい朗読」の提案
長い間、「朗読とは音声表現行為だ」と捉えられてきました。文学作品を声で表現して他者に届けるイメージです。 しかし、文学が属する読書領域に「表現」という言葉を持ち込むとき、そこには、読書や文学の本質を壊しかねない「危うさ」が生まれるのではないでしょうか。 だからこそ、「従来の朗読(聞き手に向けた音声表現行為)」は上演領域(他者に差し出す行為の場)に戻し 、 読書領域には「新しい朗読(語り手の追体験を試みる体験行為)」を据えるーーこの整理が必要なのかもしれません。 もちろん、これは従来の朗読を否定するものではありません。それぞれが最も生きる領域を探すチャレンジです。 1.読書と「従来の朗読」:何が問題なのか? 読書領域に、「従来の朗読(聞き手に向けた音声表現行為)」が持ち込まれた結果、何が起きているのでしょうか。 ① 主客の逆転という危うさ 本来、読書の主役は「作品(語り手)」です。作品を大事にしてこそ、読者である私たちは、豊かな「読書体験」を享受できます。 しかし、そこに「表現」という言葉を持ち出した途端、意識の主役は「自分(読み手)」になります。
2025年12月27日


身体を演算装置として使う→脳の成長
文学作品(詩や小説)の朗読、もちろん「新しい朗読」をしていると、頭で理解するというより、ふと感覚的に寄り添えたり、身体が自然に反応したりーーそんな瞬間が訪れます。 プロセスの整理として、「新しい朗読」における脳と身体の役割を考えてみます。 ここでの左脳・右脳は、厳密な脳科学的区分というより、思考のモードをわかりやすく示すための比喩として捉えてください。 1.左脳を「ゼロベース」にする勇気 「従来の朗読(読み上げ)」は、左脳で文字を既存の言葉として処理し、既成のアクセントや音声表現技術で「正解」を出そうとします。 しかし、「新しい朗読」では左脳を一旦リセットします。 左脳で受け取ったのは、あくまで右脳の広大な虚構世界(イメージ)へ アクセスする ための「鍵(手がかり)」としての言葉。いつまでも言葉そのものに 執着せず、一旦手放す ことで、脳の深い部分での再構築が始まります。 2.右脳による「虚構世界の創造」と身体の同期 左脳から渡された手がかりをもとに、右脳が、その情景、温度、感情、空気感を 「今ここにある現実」 として創り出すのです。...
2025年12月21日


新しい朗読ー結果として脳が育つ
「新しい朗読」で、文学作品(詩や小説)に取り組んでいると、自分が少しずつ「新しい自分」になっていくーーそんな実感があります。 他者である「語り手」と、のんびり丁寧に対話を重ねる時間。 心許せる仲間と、話し合いを楽しみながら思考を深めていく時間。 それは、脳トレのように機能を鍛える時間ではなく、ゆっくりと脳が育まれる時間なのでしょう。 脳が育つ理由は、以下の3つのプロセスに集約されます。 1. 神経回路の「新規開拓」 脳トレが、既存の回路を速く回す(計算やパズルなど)訓練なのに対して、語り手の体験を生きる朗読は、 「自分ではない他者の認知」という未知の回路 を、脳内に新しく敷設します。 ● 自分とは異なる価値観、時代背景、感情の起伏などを、身体を通してトレースすることで、脳のネットワークそのものが物理的に拡張・多様化します。 2. 「情動」と「思考」の統合的発達 脳育において重要なのは、一部の機能だけでなく、感情(扁桃体)と思考(前頭前野)が手を取り合うことです。 ● 物語の悲しみや喜びを「自分の体験」として内臓感覚で捉えながら、同時に言語
2025年12月21日


「従来の朗読」から「新しい朗読」へ【4連載・最終回】
「新しい朗読」について考えてきた連載も、これが最終回です。 これまでみてきたように、文学作品や物語、そしてエッセイにふさわしいのは、「従来の朗読(聞き手に向けた音声表現行為)」ではなく、「新しい朗読(語り手の追体験を試みる体験行為)」でした。 もちろん「従来の朗読」を否定するわけではなく、文学作品や物語、エッセイなどの読書領域では「新しい朗読」。アナウンス領域やナレーション領域、音声で観客に届けることを前提に用意された文章などの上演領域に関しては、「従来の朗読」。このように 棲み分け が必要だということです。 読書領域において、私たちは、「従来の朗読」から「新しい朗読」へとシフトしていけるといいですね。 どうしても「従来の朗読」のイメージが強く根づいているため、「声を出すのではなく、声は出る」「聞き手を意識しない」といった「新しい朗読」の考え方には、誰もが戸惑いを覚えるかもしれません。私自身がそうでした。 焦ることなくのんびりと、皆で一緒に進んでまいりましょう♪ 1.朗読者の立場から ■ 声を出すのではなく、声は出る 経験者ほど、これまでの「表現
2025年12月18日


エッセイの朗読について【4連載・3回目】
私たちが読む文章には、大きく分けて二つの種類があります。 ひとつは、読者や聞き手に届けるための 「伝達の言葉」 で綴られた文章。 もうひとつは、読者や聞き手を虚構世界に誘うための 「虚構世界を立ち上げる言葉」 で綴られた文章。 前回、前々回のブログで、後者に当たる文学作品(詩や小説)や物語にふさわしいのは、「新しい朗読(語り手の追体験を試みる体験行為)」であることを示しました。 今回は、エッセイの朗読について考えます。 エッセイの言葉は、「伝達の言葉」なのでしょうか。それとも、「虚構世界を立ち上げる言葉」なのでしょうか。 「従来の朗読(聞き手に向けた音声表現行為)」と「新しい朗読」、いったいどちらの朗読がふさわしいのでしょうか。 本稿では、エッセイの言葉を「伝達の言葉」と位置づけつつも、朗読としては「新しい朗読」がふさわしいことをみていきます。 1.エッセイの言葉とは? エッセイは、作者が伝えたい体験や思考などを読者に届けるから、「伝達の言葉」だと思う。けれど、エッセイの中には、知らない世界が広がっている。それは、読者にとっては、知っている現実世
2025年12月13日


物語の朗読について【4連載・2回目】
前回のブログでは、「文学作品にふさわしい朗読とは何か」を考えました。 文学作品(詩や小説)の語り手の言葉は、 「虚構世界を立ち上げる言葉」 であり、言葉と体験が一体となっている。だからこそ、私たち読者は、 言葉を手がかりにして、語り手を追体験することが可能。 体験に伴って表出する音声は、作品理解を深める 手段 となる。 以上のことを踏まえて、文学作品にふさわしいのは、「従来の朗読(聞き手に向けた音声表現行為)」ではなく、それとはまったく異なる 「新しい朗読(語り手の追体験を試みる体験行為)」 であるという結論を導きました。 今回は、物語の朗読に光を当ててみます。 物語にふさわしい朗読とは、どのようなものなのか。 物語の語り手の言葉も、「虚構世界を立ち上げる言葉」ですから、「新しい朗読」がふさわしいといえますが、物語の語り手は、文学作品(詩や小説)の語り手よりも、「読者に近い存在」です。 この違いに着目して、「朗読とは表現ではなく体験行為である」という「新しい朗読」の立場から、物語にふさわしい朗読のあり方を考えます。 1.語り手と読者の距離 ■文学
2025年12月13日


新しい朗読ー文学作品の朗読を再定義する【4連載・1回目】
文学作品を深く味わうための読書法を、「新しい朗読」と名付けました。読書行為に音声を伴うので、黙読ではなく「朗読」。従来の朗読(聞き手に向けた音声表現行為)ではないので、「新しい朗読」です。 「朗読」の本質を、「体験を伴う読書行為」として捉え直したい と考えています。 第1章 文章と朗読には相性がある 私たちが読む文章には、大きく分けて二つの種類があります。 ひとつは、 読者や聞き手に内容を届けるための「伝達の言葉」 で綴られ、もうひとつは、 読者や聞き手を虚構世界に誘うための「虚構世界を立ち上げる言葉」 で綴られます。 どちらの言葉も、「言葉」であることに変わりはありませんが、その性質は大きく異なります。 そして、この違いは「どのような朗読がふさわしいか」という問題にも深く関わっています。 ■ 伝達の言葉と従来の朗読 まず、「伝達の言葉」について考えてみましょう。 伝達の言葉は、相手に出来事やその雰囲気、思考などを届けることを目的とする言葉です。 相手が聞き手である場合には、届けたい内容が伝わりやすいように、抑揚をつけたり、間や声の強弱・スピード
2025年12月8日
