身体を演算装置として使う→脳の成長
- 2025年12月21日
- 読了時間: 3分
更新日:2025年12月26日

文学作品(詩や小説)の朗読、もちろん「新しい朗読」をしていると、頭で理解するというより、ふと感覚的に寄り添えたり、身体が自然に反応したりーーそんな瞬間が訪れます。
プロセスの整理として、「新しい朗読」における脳と身体の役割を考えてみます。
ここでの左脳・右脳は、厳密な脳科学的区分というより、思考のモードをわかりやすく示すための比喩として捉えてください。
1.左脳を「ゼロベース」にする勇気
「従来の朗読(読み上げ)」は、左脳で文字を既存の言葉として処理し、既成のアクセントや音声表現技術で「正解」を出そうとします。
しかし、「新しい朗読」では左脳を一旦リセットします。
左脳で受け取ったのは、あくまで右脳の広大な虚構世界(イメージ)へアクセスするための「鍵(手がかり)」としての言葉。いつまでも言葉そのものに執着せず、一旦手放すことで、脳の深い部分での再構築が始まります。
2.右脳による「虚構世界の創造」と身体の同期
左脳から渡された手がかりをもとに、右脳が、その情景、温度、感情、空気感を「今ここにある現実」として創り出すのです。
このとき「身体」が必要不可欠なのは、身体こそが右脳のイメージを「現実の体験」として脳に確信させるためのアンカー(錨)だからです。
眼差し、呼吸の変化、筋肉の緊張、鼓動の揺らぎ……身体が反応して初めて、脳は「これは単なる空想ではなく、自分が今生きている世界だ」と認識するのでしょう。
3.「言葉の必然性」の検証(フィードバック)
■ 自分から生まれた言葉が、果たしてその世界(右脳が創り出した虚構世界)から必然的に生まれたものかどうかを検証します。
もし音声に、「表現」が混じれば、身体が、それを「違和感」として察知するかもしれません。また、仲間から「違和感」の表明も期待できます。
■「次の言葉」が、自分の意志ではなく、その世界を生きている結果として「それしかあり得ない形」で生まれてくるかどうかを検証します。
その瞬間。朗読者は、語り手の「言葉の生成の現場」に立ち会っていることになります。
4.脳の成長:自己と他者の「回路の融合」
この仮説と検証の作業を繰り返すことは、自分の脳内に、「語り手の思考プロトコル(手順)」を物理的に構築していく作業に他なりません。
自分の右脳で創り出した世界が、他者(詩や小説の語り手)の言葉と必然性を持って結びついたとき、朗読者の脳は、「語り手の知性」を自分の身体知として獲得したといえるのでしょう。
これこそが、単なる知識の蓄積ではない、「脳が他者の認知回路を取り込んで成長する」という事態の正体だと考えられます。
「身体を通じて虚構世界を生きて、言葉の必然性を検証する」。
この営みこそ、新しい朗読(読書領域の朗読)という格別の読書体験であり、人間探究のプロセスです。
脳の話は抽象度が高くなって伝わりづらいですね、ごめんなさい。ご質問大歓迎です。




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