

試行錯誤にチャレンジ🎵
語り手の体験と同じ体験を急いでいませんか? 正解の音声を探していませんか? 音声を目的にしていませんか? それは、朗読ではないのかもしれません。 朗読の定義をあらためて確認しておきましょう。 『語り手の体験と同じ体験を“試みる”行為』でした。 仮説と検証を繰り返す。 その試行錯誤を愉しむ。 これが、朗読という読書法です。朗読の音声は、自らの虚構体験を仲間に開く手段となります。 どのように仮説を立てるのか? どのように検証するのか? レッスンでは、仮説の立てかたと検証のしかたを、ゆっくり時間をかけて解説しています。 仮説を立てるのも、それを検証するのも、初めての体験かもしれません。戸惑って当たり前です。 わたし自身の例をあげて、「こんなふうに仮説を立てましたよ」「こんなふうに体験しましたよ」と、試行錯誤の一つひとつをお話ししています。 お仲間が試行錯誤するご様子も、とても参考になります。 慣れていないのですから、はじめからすんなりいかなくて当然です。「なんだっけ?」と立ち止まったときには、お仲間やわたしの仮説と検証をなぞってみるのもいいですね。..


「試行錯誤がたのしいです♪」
先日のレッスンでは、Kさまの「試行錯誤がたのしいです♪」とのお言葉に、「ほんと!そうですよね〜」と大きく頷きました。試行錯誤の回数が多ければ多いほど、脳は耕されるように感じます。ご一緒に試行錯誤をたのしめて、とても幸せです。ありがとうございます。 さて、試行錯誤は「わからないとわかる」ところから始まりますが、「わからないことを面白がる人」がいる一方で、「わからないことが苦痛な人」がいるように感じます。 教室で拝見していて、この方はわからないことが苦痛なんだろうなと感じることがあります。たとえば… (既存の回路で理解しようと)一生懸命になる一方で、(それで追いつかないときは)聞くこと自体を手放しているように見えます。そして、「難しい」という言葉や、「〇〇の説明はわかりやすい(わかりづらい)」といった判断の言葉が出てきます。周りの人に、「どう?わからないよね」「難しいよね」と言葉や目線で同意を求めます。ご本人は無自覚なのだと思いますが、「わからない私が悪いのではない」と安心したいのかもしれません。 わからないことが苦痛なのだから、このような態度になる


「朗読をたのしんでいます」ご感想ありがとうございます♪
【朗読とは、文学作品の語り手の体験と同じ体験を“試みる”行為である。】 最近この定義が、ようやく、すんなり、出てくるようになりました。そして、体験を試みることによって、文学作品の豊かさを少しづつ得られているように思います。 私にとって朗読の愉しさは、仮説と検証の繰り返しの中にあります。 仮説に基づいて検証した結果、全く違う言葉が出てくることが多々あります。しかし、それは間違いではなく「私はこのような場面ではこう思ったり、こう言ったりするんだな」と語り手との違いに気づく起点となってくれます。 私はこうだけど、語り手はちがう、どうしたら近づくことが出来るのか、仮説と検証を繰り返していきます。そのうちに何故か違いに気づく事が愉しくなってきます。 そして、体験に近づいていく過程で、今まで持ったことがないような感覚や感情を覚えたことがあります。それは、「あれっ私にもこんな感情あったんだ」と自分自身でも驚くような心地よいものでした。きっと語り手の体験に近づけたからこその結果だと思っています。 その心地よさをもう一度味わいたいと思いながら、朗読をたのしんでいま


