

「わからない」とどう付き合うか
◾️「わからない」を、どう捉えているか? 「わからない」のはダメなこと。早く理解しなければならない。 私たちは、このような環境で、「すぐにわかったことにする」習慣を、身につけたのかもしれません。 でも、「すぐにはわからないこと」まで、すぐに「わかったこと」にするのは、はたして幸せなことなのでしょうか。 「わからない」から、他者に出逢えます。 「わからない」から、世界が広がります。 じつは、「わからない」のはダメなことなんかじゃなくて、とてもステキで大事なことだとは思いませんか? ◾️「わからない」と、どう付き合ってる? 幼い頃は、「わからない」が当たり前です。 でも、「わからないのはダメ」という環境で育つうちに、次第に、「わからないのは恥ずかしい」とか「わからないとバカにされる」といった不安を抱くようになるのではないでしょうか。 「わからない状態」を、恥ずかしく思ったり、苦痛に感じたりするからこそ、無意識のうちに、それを避けるようになるのでしょう。 具体的には、すぐにはわかるはずのない「わからないこと」まで、「すぐにわかる」かたちに都合よく変えて


「わからない状態」を面白がれるかも♪
◾️うれしいメッセージ 先日のレッスンでは、Kさまの「試行錯誤がたのしいです♪」とのお言葉に、「ほんと!そうですよね〜」と大きく頷きました。 仮説と検証を繰り返す過程で生まれる試行錯誤は、「わからないこと」がわからないとわかるところから始まります。そして、試行錯誤の回数が多ければ多いほど、脳はやわらかくふかふかに耕されるように感じます。 Kさま、ご一緒に試行錯誤をたのしめてとても幸せです。ありがとうございます。 ◾️ほとんどの人は、「わからない状態」が苦痛 Kさまのように「わからない状態を面白がれる人」は、ほんの一部かもしれません。多くの人が、「わからない状態を避けてしまう」ように感じます。 たとえば朗読の実践には、『朗読とは何か?』という概念の共有が欠かせませんが、「わからない状態でいることが苦痛な人」は、この本質的な話を直ちにわかろうとして、「既存の回路」だけを使って受け取り、それで「わかったこと」にしているように感じます。 でも、これまでの経験や価値観とは異なる話、つまり、既存の回路だけでは受け取れない話を、既存の回路だけで処理してしまった


試行錯誤の入り口に立つ
語り手の体験と同じ体験を急いでいませんか? 正解の音声を探していませんか? 音声を目的にしていませんか? それでは、「言葉と体験の調和」を目指すのは、難しいかもしれません。 朗読の定義を、あらためて確認しておきましょう。『語り手の体験と同じ体験を“試みる”行為』でした。 仮説を立て、自らの身体で検証する。 仮説と検証の往還で生まれる試行錯誤をたのしむ。 この営みこそが、言葉と体験を調和へと導く「朗読という読書法」であり、朗読の音声は、自らの虚構体験を仲間に開く手段です。 ◾️「体験したつもり」から「体験」へ:そこに試行錯誤が生まれる どのように仮説を立てるのか? どのように検証するのか? レッスンでは、仮説の立てかたと検証のしかたを、ゆっくり時間をかけて解説しています。 仮説を立てるのも、それを検証するのも、初めての体験かもしれません。戸惑って当たり前です。 わたし自身の例をあげて、「こんなふうに仮説を立てましたよ」「こんなふうに体験しましたよ」と、試行錯誤の一つひとつをお話ししています。 お仲間が試行錯誤するご様子も、とても参考になります。..


