

『小説』誕生以降の文学作品と『朗読』
「朗読は音声表現」というイメージは、どうして広がったのでしょうか。 明治になると、文学の新しい形式として「小説」が誕生しました。 小説は、「文字言語だけで虚構世界が立ち上がる構造」を持ちます。つまり、「語り手の認知や思考」をそのまま反映させた言葉によって、読者に、虚構の作品世界を「自分ごと」として生きることを求めます。読者一人ひとりに、自ら文字言語と向き合い、各々の虚構世界を立ち上げることを要請するのです。 小説の誕生によって文学は変容し、小説誕生以降の文学作品は、もはや音声でやり取りするものではなくなりました。 では、当時の朗読は、この文学の変容に対応したのでしょうか。 対応しなかったのだと思います。小説が誕生する前の「文章を読み上げ、音声で届ける」というスタイルは変わらなかった。そのため、読書行為の中心は、次第に「黙読」に移っていったと考えられます。 朗読は、その後も、はっきりと定義されることのないままに「文章を読み上げる行為」として受け継がれ、やがて、「表現する喜び」の受け皿となっていったのかもしれません。 そして、「朗読は音声表現」という


朗読の音声とは?
あなたにとって、朗読の音声とは何ですか? 「あれ、なんだっけ?」でもいいですよ。この記事の最後に、あらためて音声記事の抜粋を載せておくので読んでみてくださいね。 では、話を戻しましょう。 あなたは、また音声を目的にしていませんか? 「この音声で大丈夫かしら?」と不安になったり、「どんな声を出そうかしら?」など間や緩急を工夫したり、「これでいいか悪いかを知りたい」と指導してほしくなったり… こういうときは、上演領域にいると気づけるといいですね。 朗読者は、言葉が生まれる際に伴う音声で、虚構世界を生きる「自らの体験」を仲間に開きます。各々の体験を持ち寄れば、さらに語り手に近づいていけます。 「あなたの体験」を開く「あなたの音声」は、あなたが仲間に贈る「愛」なのかもしれません。 仲間への愛で開かれる音声だからこそ、「朗読の音声」は、ともに語り手へ近づいていくための大切な手段となるのでしょう。 まずは、虚構世界をイメージすること。そして、自分の身体と五感を使って生きてみること。これは、あなた自身にしかできないことです。 自分の知覚と認知が、仮説と検証を重


新しい自分と出会う旅
朗読は、上演領域で行われる朗読劇や語り・読み語りといった「上演行為」とは異なり、読書領域で行われる「読書行為」だと考えられます。 その実態は、(文学作品の)語り手の言葉の生成に立ち会おうとして、自分から言葉が生まれる体験を軽快に重ねて、徐々に語り手に近づいていく営みです。 面白がっていると、「文学体験」につながるように感じます。 文学作品の世界を自分ごととして生きようとするなかでの試行錯誤、それら全てを含めて、文学体験なのかもしれませんね。 試行錯誤の一つひとつが、私たちの脳をやわらかく耕してくれます。 すると…まるでふかふかに耕された土壌に初々しい芽生えがあるように、日常ではあまり使っていなかった認知回路が少しずつ働き始め、脳はゆっくりと成長していくのでしょう。 認知が変わると、見えている世界が変わります。 きっと、幾つになっても「新しい自分」と出会えます。 「朗読」という読書行為を続けてきて、世界はよろこびと発見に満ちているーーそう実感できるようになりました。 あなたも、のんびりと朗読をたのしんでみませんか?この読書法に慣れるまで、サロンドマ


