

「朗読は、音声を伴う読書」だということ
文字言葉だけで虚構の作品世界を立ち上げようとする文学作品を対象とする朗読は、私たちを育ててくれる営みだと思っています。 文学作品の言葉とはどのようなものなのか。アナウンス原稿や上演台本の言葉とはどう異なるのか。 この考察を疎かにしたまま、従来の朗読、つまり、文学作品を音声で届ける行為を「朗読」と呼び続けることに、大きな違和感を抱いています。 わたしたちが対象とする言葉は、語り手の体験とともに生まれる言葉です。それは、「認知(思考)の言葉」といえるでしょう。その言葉は、「聞き手に届けるもの、伝えるもの」として扱うことで「伝達の言葉」に変質し、その結果、言葉と体験はズレてしまいます。 このことに気づかず、「上手に読めた」「うまく伝わった」という経験を重ねてしまうから、言葉と体験とのズレに気づく感覚が鈍っていくのかもしれません。 文学作品を音声で届けようとする行為は、いったい誰を幸せにするのでしょうか。 朗読者の心を育てるはずの朗読が、その人自身の感性を脅かすものになってしまう。 それを、「いろんな朗読があっていい」で済ませてはいけないのだろうと思いま


Instagram始めました♪
夏休みを利用してInstagramを始めてみました。 やり方がよくわからないまま始めて💦 いま少しずつ試行錯誤をたのしんでおります(^^♪ アカウントは、 サロンドマリコ|私がととのう読書時間 フォローしていただけると有り難いです。 伝えたい世界が徐々にはっきりと見えてきました。いっしょに歩いてくださる皆さまのおかげで、 いま、自分の言葉を綴れることに、感謝の気持ちでいっぱいです。 心よりありがとうございます!


「わからない」とどう付き合うか
◾️「わからない」を、どう捉えているか? 「わからない」のはダメなこと。早く理解しなければならない。 私たちは、このような環境で、「すぐにわかったことにする」習慣を、身につけたのかもしれません。 でも、「すぐにはわからないこと」まで、すぐに「わかったこと」にするのは、はたして幸せなことなのでしょうか。 「わからない」から、他者に出逢えます。 「わからない」から、世界が広がります。 じつは、「わからない」のはダメなことなんかじゃなくて、とてもステキで大事なことだとは思いませんか? ◾️「わからない」と、どう付き合ってる? 幼い頃は、「わからない」が当たり前です。 でも、「わからないのはダメ」という環境で育つうちに、次第に、「わからないのは恥ずかしい」とか「わからないとバカにされる」といった不安を抱くようになるのではないでしょうか。 「わからない状態」を、恥ずかしく思ったり、苦痛に感じたりするからこそ、無意識のうちに、それを避けるようになるのでしょう。 具体的には、すぐにはわかるはずのない「わからないこと」まで、「すぐにわかる」かたちに都合よく変えて


