

「わからない」を面白がれるかも♪
◾️うれしいメッセージ 先日のレッスンでは、Kさまの「試行錯誤がたのしいです♪」とのお言葉に、「ほんと!そうですよね〜」と大きく頷きました。 朗読の過程で生まれる試行錯誤は、「わからないこと」がわかるところから始まります。そして、試行錯誤の回数が多ければ多いほど、脳は耕されるように感じます。 Kさま、ご一緒に試行錯誤をたのしめてとても幸せです。ありがとうございます。 ◾️私たちは「わからない」とどう付き合うのか Kさまのように「わからないことを面白がる人」がいる一方で、「わからないことが苦痛な人」がいるように感じます。 朗読の実践には、『朗読とは何か?』という概念の共有が欠かせませんが、この本質的な話を、「わからないことが苦痛な人」は、「既存の回路」だけでわかろうとしてしまうのかもしれません。 でも、これまでの経験や価値観を超える話をしているのですから、既存の回路だけでは、わかりようがありません。それでも、わからないことが苦痛で、わかったことにしてしまう。 だけど、ここでズレてしまうと、なかなか試行錯誤に進めません。つらいですよね… 朗読教室では


「わからなさ」と付き合うーー文学作品の場合:「わからない」から、試行錯誤へ
「わからない」から、他者に出逢えます。 「わからない」から、世界は広がります。 朗読は「わからなさ」を愉しめる読書法です。 ☆…。…。。。…☆☆。。。……。 他人の頭の中や心の中は、わかりません。 文学作品の語り手に関しても同様です。 でも、語り手の言葉は、「(世界をどう受け取っているかという)認知の言葉」だと考えられます。そんな特殊な言葉だからこそ、朗読という読書法で取り組むことで、わたしたちは、語り手に接近していくことができます。 ただし、「語り手のことはわからない」を前提にできたときに限ります。 朗読は、「語り手のことは、まだわからない」ところからしか、始まらないのです。 潜在意識が「わからないのは失敗」と捉えていると、わからないことは苦痛になってしまいます。苦痛を避けようとして、「わからないことがわからない」状態になるのでしょうか。 ◾️「私にはわかっている」が前提のとき 「私にはわかっている」を前提にしていると、文学作品という「わからない」ものであっても、立ち止まることなく、すぐに理解可能な形へ置き換えて、わかったことにしがちです。する


試行錯誤に、チャレンジ
語り手の体験と同じ体験を急いでいませんか? 正解の音声を探していませんか? 音声を目的にしていませんか? それは、文学作品の朗読ではないのかもしれません。 「認知の言葉」を扱う朗読の定義を、あらためて確認しておきましょう。 『語り手の体験と同じ体験を“試みる”行為』でした。 仮説を立て、自らの身体で検証する。 仮説と検証の往還で生まれる試行錯誤を愉しむ。 これが、朗読という読書法です。朗読の音声は、自らの虚構体験を仲間に開く手段となります。 どのように仮説を立てるのか? どのように検証するのか? レッスンでは、仮説の立てかたと検証のしかたを、ゆっくり時間をかけて解説しています。 仮説を立てるのも、それを検証するのも、初めての体験かもしれません。戸惑って当たり前です。 わたし自身の例をあげて、「こんなふうに仮説を立てましたよ」「こんなふうに体験しましたよ」と、試行錯誤の一つひとつをお話ししています。 お仲間が試行錯誤するご様子も、とても参考になります。 慣れていないのですから、はじめからすんなりいかなくて当然です。「なんだっけ?」と立ち止まったとき


