

読書領域の朗読:世界の受け取り方が静かに変わる
詩や小説などの言葉を、急いで意味に回収せず、評価せず、その言葉が生まれる身体・五感・脳に思いを馳せて仮説を立てる。自らの身体・五感・脳で検証する。 仮説と検証を繰り返していると、ゆっくりと語り手が近づいてくる。そのとき、自分のなかに何が立ち上がるか…それを待つ。 これが、読書領域の朗読です。 この習慣を持つと、人の言葉を、結論よりも背景ごと聞けるようになります。 出来事を、善悪や成功失敗だけで切らなくなるし、すぐ理解できない他者や状況に、居場所を残せるようになります。 つまり、これは、人間や出来事を味わえる脳になるということなのでしょう。 文学の力って本当にすごい。それを受け取ることを目指す「読書領域の朗読」は、 ・共感力を育てます ・感受性が高まります のような安易な言葉ではとうてい掬いきれない、もっと静かで、もっと深い変化を私たちに与えてくれます。 私たちは、音声表現の技術を教えているのではありません。 サロンドマリコは、「人が世界と出会い直す場」を整える伴走者として、いつも読書領域にいます。


読書領域の朗読:語り手/作者/朗読者の関係を考える
サロンドマリコの提唱する新しい朗読は、「読書領域の朗読」を指します。 ここでいう 読書領域 とは、表現を前提とする上演領域とは異なり、あくまで「読書そのもの」を扱う領域です。詩や小説、エッセイなど、すでに音声を内包している言葉を対象とします。朗読者にとって、 声は「出す」ものではなく、 認知とともに 自然に「出る」もの。 体験の副産物です。 一方、上演領域では、台本と呼ばれる「音声になる前の言葉」を扱います。どのように声を出して表現するか、その技術を磨きます。したがって、上演領域の読み語りと、読書領域の朗読は、まったく異なる行為です。 読み語りが「聞き手に向けた表現行為」 であるのに対して、 朗読は「作品理解を深める読書法」 といえます。サロンドマリコでは、朗読を次のように定義しています。 朗読の定義:語り手の体験と同じ体験を試みる体験行為 今回は「 語り手 / 作者 / 朗読者 」の関係について考えますが、 読書領域の朗読は、声を目的とする表現行為ではなく、語り手の追体験を試みる体験行為だ ということを、最初にあらためて共有しておきましょう。


読書領域の朗読:たとえば丁寧に観察する
いつもブログをお読みくださってありがとうございます。今日も「朗読de脳育」愉しんでいらっしゃいますか♪ さて。わたしたち読書領域の朗読者は、詩や小説の言葉が生まれる際の五感の働き・脳の働き・身体のありようを ていねいに探り 、〈語り手〉や発話者(登場人物)に対する理解を少しずつ深めていきます。その都度、体験を試みながら。(←『新しい朗読ー語り手の体験を生きる読書法』p34・37) それは、 虚構の作品世界を、語り手とともに生きて、新しい体験をしたいから です。結果として、言葉が内包している音声と出会えるかもしれません。 それでは、実際に朗読していきましょう♪ ■ ちいさな、ちいさな、りすでした。 今回は、森絵都さんの作品『こりす物語』の冒頭部分を、いっしょに朗読してみましょうか。〈語り手〉は次のように語っています。 ちいさな、ちいさな、りすでした。 音声表現するひと(=声を与えようとするひと) は、観察と推察にさほど時間をかけず、(わかったわ。この〈語り手〉は、りすがちいさいことを強調したいのね)と 解釈 して、その 解釈を音声表現に反映 させよ


