「朗読」という読書法の提案①:朗読は上演領域?それとも読書領域?
- 13 分前
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近代以降の文学作品を、私たちはどのように受け取るのが適切なのでしょうか。
サロンドマリコでは、「朗読」という読書行為を提案しています。
今回は、「朗読」とはどのような行為なのかを、あらためて共有することから始めましょう。
文字言語のみで虚構世界を立ち上げようとする文学作品について考えます。
■ 朗読が存在するのは、上演領域か?それとも読書領域か?
朗読は、文学作品を対象とし、音声を伴います。
これは、誰もが自然に共有できることだと思います。
しかし、問題はここからです。
「音声を伴う」ということのみで、上演領域を思い浮かべる人が多いのです。
では、「上演領域に朗読」というのは、はたして本当に適切な配置なのでしょうか?
朗読が対象とする「文学作品」は、上演台本とは異なり、文字言語のみで完結する構造を持っています。したがって、音声によって完成する上演領域で朗読を扱おうとすると、構造が噛み合いません。
朗読は、読書領域で扱うのが自然です。そうすることで、音声と言葉の関係に無理が生じません。
■ 朗読をどう定義するか?
【朗読とは、(文学作品の)語り手の追体験を試みる体験行為である】
これが、「朗読とはどのようなものか」を共有するために妥当な定義だと考えられます。
このように定義すると、朗読は、「体験(音声を含む)と言葉の調和」を目指す営みとなります。
・朗読って、文字言語を創意工夫して読み上げる音読行為ではないの?
・朗読って、作品の解釈を反映させた音声表現行為ではないの?
これらは、どちらも「(文学作品ではなく)音声を得て完成する上演台本」を対象とする「表現行為」と呼ぶべきものです。
そして、このような「表現行為の成立する場」は、上演領域です。
■ 朗読の音声とは?:虚構体験に伴って表出する身体反応
「朗読」の音声は、上演領域における「音声表現」の音声のように、意図して出すものではありません。語り手の追体験を試みる過程で、自然に出るものです。
つまり、朗読の音声とは、虚構世界を生きようとする体験に伴って表出する「(世界を認知する)身体の反応」といえます。
■ 朗読の音声とは?:朗読者の虚構体験を他の読者に開く
このように、「朗読の音声」は「虚構体験」と直結しています。
すなわち、この音声を共有した他の読者は、「朗読者の体験」に触れます。
だからこそ、朗読の音声は、一人の読書では到達できない作品理解の深みへと、私たちを導きます。
■ 朗読の音声を共有する場
朗読者の音声を仲間たちが共有する場では、思いがけない気づきや違和感が生まれます。
それは、豊かな話し合いが生まれるきっかけとなります。話し合うことで、語り手にさらに近づけるかもしれません。
つまり、朗読の音声は、「体験と言葉の調和」を目指す営みの中で、力強い手段となるのです。
■ まとめ
朗読は、文字言語が内包する「語り手の体験」に、皆で少しずつ近づいていく試みです。
頭だけではなく身体も使い、個人ではなく共同体で取り組みます。
つまり「朗読」とは、文学作品の幸せな受け取り方を、愉しく探究し続ける「読書行為」なのです。




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