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文学作品の幸せな受け取り方:「朗読」という読書法の提案①

  • 3月7日
  • 読了時間: 4分

更新日:6 時間前


この連載では、「文字言語のみで虚構世界が立ち上がる構造」を持つ文学作品を扱います。


ここでいう「文学」とは、個々人が学ぶことのできる、すなわち自分を変える可能性を持つものを指します。


では、そうした文学の可能性を開く読書法とはどのようなものでしょうか?


サロンドマリコでは、「朗読」を提案しています。

まずは、朗読とはどのような行為なのかをみていきましょう。



■ 朗読が存在するのは、上演領域か?それとも読書領域か?


朗読は、文学作品を対象とし、音声を伴う行為です。


この「音声を伴う」ということから、私たちは自然に上演領域(言葉を届ける行為の場)を思い浮かべ、「上演領域に朗読」という配置を、当たり前のものとして受け入れがちです。


しかし、上演領域に朗読を配置するのは、本当に適切なのでしょうか。


「(虚構世界の立ち上げに)音声を必要としない文学作品」を、「音声を表現として意図的に扱う上演領域」 に置くのは、じつは無理があるのかもしれません。


文学作品が読書領域に属する以上、それを対象とする朗読も、同じく読書領域に配置するのが自然です。



■ 朗読をどう定義するか?


【朗読とは、(文学作品の)語り手の体験と同じ体験を試みる体験行為である】


このように定義すると、朗読は、音声を伴い、「体験と言葉の調和」を目指す営みとして、読書領域で成立します。


⚫︎ 朗読って、わかりやすく言葉を伝える行為ではないの?

⚫︎ 朗読って、感情を込めて作品を届ける行為ではないの?


これらの「創意工夫して読み上げる音読行為」や、「(朗読者の)解釈を音声に反映させた表現行為」が対象とするのは、すでに体験(音声を含む)を内包している文学作品ではなく、体験(音声を含む)を得て完成する「上演のための台本」です。このような表現行為が成立する場は、読書領域ではなく上演領域です。



■ 朗読の音声とは?:虚構体験に伴って表出する身体反応


朗読の音声は、上演領域における音声表現のように、意図して出すものではありません。

語り手の体験と同じ体験を試みる過程で、言葉の生成に付随して自然に出るものです。


朗読の音声とは、虚構世界を生きようとする体験に伴って表出する「(世界を認知する)身体の反応」なのです。



■ 朗読の音声とは?:朗読者の虚構体験を他の読者に開く


朗読の音声は、虚構体験と直結しています。


ですから朗読者は、音声によって、自らの虚構体験を聞き手に開くことになります。


ここでいう聞き手とは、音声を「表現されたもの」として受け取る「上演領域における観客」ではなく、自ら虚構の作品世界を生きようとする「読書領域の仲間」です。


読書領域の仲間は、自らの虚構体験がどのように揺さぶられるのかを観察しながら、虚構空間を響き合わせるように聞きます。


朗読の音声は、仲間の虚構体験に身体ごと触れ、自らの虚構体験を問い直す手段となるのです。


だからこそ朗読は、一人の読書では到達できない作品受容の深みへと、私たちを導く可能性を持つのでしょう。



■ 朗読の音声を共有する場


朗読の音声を共有する場では、思いがけない気づきが生まれます。それが、豊かな話し合いのきっかけとなります。率直に言葉を交わし合うことで、語り手との距離はさらに縮まるかもしれません。


朗読という「体験と言葉の調和」を目指す営みの中で、音声は貴重な役割を果たすのです。



■ まとめ


朗読は、文字言語が内包する「語り手の体験」を、ゆっくりと時間をかけて「自分の体験」にしていく試みです。

頭だけではなく、身体や感覚も使い、個人ではなく、共同体で取り組みます。


目の前に並ぶ言葉を解釈してわかったことにしてしまうのではなく、そこを出発点にして、仲間と言葉を交わし合いながら、語り手の「言葉の生成」に立ち会っていくーー


「朗読」とは、文学作品の幸せな受け取り方を、愉しく探究し続ける「読書行為」なのです。




※関連ブログ

「文学作品の幸せな受け取り方:『朗読』という読書法の提案②③」



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