

「読書領域の朗読」へ:パラダイムシフト
「上演領域」から「読書領域」へ移行すると、座標軸は、 虚構世界を“届ける”から、虚構世界を“生きる”に変わります。 これは、朗読における「コペルニクス的転回」といえるかもしれません。 朗読という行為に、聞き手に届ける「音訳」のようなイメージ、創意工夫する「音読(読み上げ)」のようなイメージを持っている人にとっては、まさにパラダイムシフトと感じられる出来事なのだと思います。 ■ 中心が、朗読者から語り手へ 従来の朗読観は、 朗読者を中心 に据えます。 つまり、朗読者が語り手を解釈します。そして、その解釈を反映させた音声を聞き手に届けようとします。 朗読者は、聞き手に感動を与えることを目指し、表現に創意工夫を重ねます。 一方、サロンドマリコの提示する「読書領域の朗読」の朗読観は、 語り手を中心 に据えます。 ここでいう語り手とは、言葉によって虚構世界を立ち上げ、読者に体験を促そうとする言語主体です。 朗読者は、語り手の追体験を試みます。そうすることで、語り手に接近しようとします。 つまり、身体を使った「仮説と検証」の往還で、語り手に近づくことを目指し
2月22日


読書領域の朗読:世界の受け取り方が変わっていく
前回のブログでは、サロンドマリコの方法論をご紹介しました。 今回は、「読書領域の朗読」が私たちにどのような変化をもたらすのか、考えてみたいと思います。 ■ 読書領域の朗読は… 読書領域の朗読は、文学作品の言葉を、急いで意味に回収しません。つまり、解釈してわかったことにしません。もちろん、(解釈を反映させて)表現することもしません。 言葉が生まれる脳・五感・身体に思いを馳せて仮説を立て、自らの身体で検証します。 仮説と検証を繰り返していると、ゆっくりと語り手が近づいてきます。語り手に接近したとき、自分のなかに初めての感情や感覚が立ち上がる…それを待ちます。 ■ 朗読がもたらすものは… 「読書領域の朗読」を通してこのような習慣を持つと、人の言葉を、結論よりも背景ごと聞けるようになります。出来事を、善悪や成功失敗だけで切らなくなるし、すぐ理解できない他者や状況に、居場所を残せるようになります。 これは、人間や出来事を味わえる脳になるということなのでしょう。 文学体験を目指す「読書領域の朗読」は、 ・共感力が育ちます ・感性が豊かになります...
2月10日


サロンドマリコの方法論:「読書領域の朗読」入門テキスト
(注)ここで扱うのは、上演領域における「読み語り」ではなく、読書領域の「朗読」です。 サロンドマリコでは、読書領域の朗読を「語り手の体験と同じ体験を試みる体験行為」と定義しています。(世界を認知する身体の反応として、 予測できない声が自然に出ます 。意識的に声を出す表現行為とはまったく別のものです) 朗読は、「仮説と検証」を繰り返す読書法。検証の際には身体に助けてもらいます。その点がとてもユニークです。この反復を愉しんでいるうちに、語り手との距離は徐々に縮まります。 語り手に寄り添って歩けるようになると、私たち朗読者も(自分ごととして)作品世界を生きることができます。 今回は、朗読の具体的なプロセスをご一緒しましょう。こうしなければ…という決まりごとではありませんが、やっていくうちに、自然に身体に馴染むと思います。 最初のテキストは、詩や児童文学などの短い文学作品です。「左脳」「右脳」という言葉は、情報処理の傾向を表すものとして便宜的に使っています。 ■ 準備①:一通り最後まで読む ひとまず最後まで読みましょう。左脳(言語脳)メインで情報
2月8日


読書領域の朗読:語り手/作者/朗読者の関係を考える
サロンドマリコの提唱する新しい朗読は、「読書領域の朗読」を指します。 ここでいう 読書領域 とは、表現を前提とする上演領域とは異なり、あくまで「読書そのもの」を扱う領域です。詩や小説、エッセイなど、すでに音声を内包している言葉を対象とします。朗読者にとって、 声は「出す」ものではなく、 認知とともに 自然に「出る」もの。 体験の副産物です。 一方、上演領域では、台本と呼ばれる「音声になる前の言葉」を扱います。どのように声を出して表現するか、その技術を磨きます。したがって、上演領域の読み語りと、読書領域の朗読は、まったく異なる行為です。 読み語りが「聞き手に向けた表現行為」 であるのに対して、 朗読は「作品理解を深める読書法」 といえます。サロンドマリコでは、朗読を次のように定義しています。 朗読の定義:語り手の体験と同じ体験を試みる体験行為 今回は、読書領域における「 語り手 / 作者 / 朗読者 」の関係について考えます。 朗読は、声を目的とする表現行為ではなく、語り手の追体験を試みる体験行為だ ということを、最初にあらためて共有しておきましょ
1月23日


新しい朗読:読書領域の学びと体験
〜読書と朗読が繋がることを願って〜 長い間、朗読は、「声の技術」や「表現の巧拙」で評価される、いわば上演領域のものとして捉えられてきました。 しかし、文学作品を味わう読書領域における朗読は、音声の在り方も価値も、まったく別の座標の上にあります。 ここで行いたいのは、 読書領域と上演領域の区分を使い、いま「朗読」と呼ばれている行為を整理する ことです。 上演領域で行われる「読み語り」は、上演台本を創意工夫して音読する(読み上げる)表現行為。読書領域で行われる「朗読」は、文学体験を目指す体験行為。このような整理を提案します。 1.「読み語り」(上演領域)とは何か 上演領域で行われる「読み語り」は、文字や文章を、声に乗せて 聞き手に届ける表現行為 といえます。 ■言葉にふさわしい声を自分がつくる ■ 声を出す。間や声色、感情表現など、創意工夫が中心 ■ 聞き手の感動や、聞き手とのコミュニケーションが目的 ■ 上演を前提に創作された台本を扱う ■ 読書領域における詩や小説・物語・エッセイも、上演台本とみなされる この領域では、表現者の技術や表現力が価値
1月4日


「朗読」を、読書領域に:表現の座標を離れるということ
(この記事は、前回のブログ「朗読の地図」とあわせてお読みいただけるとうれしいです) たしかに長い間、朗読は「声の技術」として捉えられ、「表現の巧拙」が評価されてきました。 そのような土壌があるからでしょう。読書領域の朗読(サロンドマリコの「新しい朗読」)について語っても、多くの人が「従来の朗読(表現としての朗読)」を基準点に置き、そこからの 「差分」で解釈 しようとします。 それは無理もないことですが、そのままでは、本質に近づくことが難しくなります。 なぜなら、サロンドマリコの「朗読の地図」における 従来の朗読は、 読書領域の朗読とは全く別の座標軸を持つ 「上演領域」に存在する からです。 上演領域では、「うまく読めているか」「聞き手に伝わっているか」をつねに外側から気にしている自分がいますが、読書領域では、気づいたら虚構世界を生きていて声のことなど何も考えていない自分がいます。 それでは、「読書領域の朗読」をサロンドマリコがどう捉えているのか、あらためてみていきます。 1.「声」は結果であって目的ではない 従来の朗読観に引きずられると、「声をど
1月1日


「従来の朗読」から「新しい朗読」へ【4連載・最終回】
「新しい朗読」について考えてきた連載も、これが最終回です。 これまでみてきたように、文学作品や物語、そしてエッセイにふさわしいのは、「従来の朗読(聞き手に向けた音声表現行為)」ではなく、「新しい朗読(語り手の追体験を試みる体験行為)」でした。 もちろん「従来の朗読」を否定するわけではなく、文学作品や物語、エッセイなどの読書領域では「新しい朗読」。アナウンス領域やナレーション領域、音声で観客に届けることを前提に用意された文章などの上演領域に関しては、「従来の朗読」。このように 棲み分け が必要だということです。 読書領域において、私たちは、「従来の朗読」から「新しい朗読」へとシフトしていけるといいですね。 どうしても「従来の朗読」のイメージが強く根づいているため、「声を出すのではなく、声は出る」「聞き手を意識しない」といった「新しい朗読」の考え方には、誰もが戸惑いを覚えるかもしれません。私自身がそうでした。 焦ることなくのんびりと、皆で一緒に進んでまいりましょう♪ 1.朗読者の立場から ■ 声を出すのではなく、声は出る 経験者ほど、これまでの「表現
2025年12月18日


エッセイの朗読について【4連載・3回目】
私たちが読む文章には、大きく分けて二つの種類があります。 ひとつは、読者や聞き手に届けるための 「伝達の言葉」 で綴られた文章。 もうひとつは、読者や聞き手を虚構世界に誘うための 「虚構世界を立ち上げる言葉」 で綴られた文章。 前回、前々回のブログで、後者に当たる文学作品(詩や小説)や物語にふさわしいのは、「新しい朗読(語り手の追体験を試みる体験行為)」であることを示しました。 今回は、エッセイの朗読について考えます。 エッセイの言葉は、「伝達の言葉」なのでしょうか。それとも、「虚構世界を立ち上げる言葉」なのでしょうか。 「従来の朗読(聞き手に向けた音声表現行為)」と「新しい朗読」、いったいどちらの朗読がふさわしいのでしょうか。 本稿では、エッセイの言葉を「伝達の言葉」と位置づけつつも、朗読としては「新しい朗読」がふさわしいことをみていきます。 1.エッセイの言葉とは? エッセイは、作者が伝えたい体験や思考などを読者に届けるから、「伝達の言葉」だと思う。けれど、エッセイの中には、知らない世界が広がっている。それは、読者にとっては、知っている現実世
2025年12月13日


物語の朗読について【4連載・2回目】
前回のブログでは、「文学作品にふさわしい朗読とは何か」を考えました。 文学作品(詩や小説)の語り手の言葉は、 「虚構世界を立ち上げる言葉」 であり、言葉と体験が一体となっている。だからこそ、私たち読者は、 言葉を手がかりにして、語り手を追体験することが可能。 体験に伴って表出する音声は、作品理解を深める 手段 となる。 以上のことを踏まえて、文学作品にふさわしいのは、「従来の朗読(聞き手に向けた音声表現行為)」ではなく、それとはまったく異なる 「新しい朗読(語り手の追体験を試みる体験行為)」 であるという結論を導きました。 今回は、物語の朗読に光を当ててみます。 物語にふさわしい朗読とは、どのようなものなのか。 物語の語り手の言葉も、「虚構世界を立ち上げる言葉」ですから、「新しい朗読」がふさわしいといえますが、物語の語り手は、文学作品(詩や小説)の語り手よりも、「読者に近い存在」です。 この違いに着目して、「朗読とは表現ではなく体験行為である」という「新しい朗読」の立場から、物語にふさわしい朗読のあり方を考えます。 1.語り手と読者の距離 ■文学
2025年12月13日


新しい朗読ー文学作品の朗読を再定義する【4連載・1回目】
文学作品を深く味わうための読書法を、「新しい朗読」と名付けました。読書行為に音声を伴うので、黙読ではなく「朗読」。従来の朗読(聞き手に向けた音声表現行為)ではないので、「新しい朗読」です。 「朗読」の本質を、「体験を伴う読書行為」として捉え直したい と考えています。 第1章 文章と朗読には相性がある 私たちが読む文章には、大きく分けて二つの種類があります。 ひとつは、 読者や聞き手に内容を届けるための「伝達の言葉」 で綴られ、もうひとつは、 読者や聞き手を虚構世界に誘うための「虚構世界を立ち上げる言葉」 で綴られます。 どちらの言葉も、「言葉」であることに変わりはありませんが、その性質は大きく異なります。 そして、この違いは「どのような朗読がふさわしいか」という問題にも深く関わっています。 ■ 伝達の言葉と従来の朗読 まず、「伝達の言葉」について考えてみましょう。 伝達の言葉は、相手に出来事やその雰囲気、思考などを届けることを目的とする言葉です。 相手が聞き手である場合には、届けたい内容が伝わりやすいように、抑揚をつけたり、間や声の強弱・スピード
2025年12月8日


新しい朗読ー朗読家って?
名古屋西高校での授業の際、「朗読家って初めて知りました!」という生徒の声に、私も思わず「たしかに!」と頷きました。 「朗読家」という仕事、日常であまり耳にしないかもしれませんね。今日は、あらためて「朗読家とは何か」を考えてみたいと思います。 ■ アナウンサー、俳優や声優、朗読家の比較 アナウンサー :伝達者/アナウンス原稿を読み上げ、聞き手に「わかりやすく伝える」ことを目指す 俳優や声優 :表現者/台本の台詞を表現し、観客に「作品を魅力的に届ける」ことを目指す ーーーーーーーーーーーーーーー 朗読家 :体験する読者/文学作品の語り手を追体験し、「作品世界を生きる」ことを目指す 朗読家は、聞き手や観客に届けるために表現するのではなく、「語り手という他者の体験」を「自分の体験」として、ただ生きようとします。つまり、言葉が生まれる瞬間を生きるのです。したがって朗読家の音声は、「表現」ではなく、体験とともに自然に生まれる「表出」と捉えましょう。 アナウンサー、俳優・声優、朗読家。いずれも言葉と向き合う点では同じかもしれません。けれども、扱う言葉が異なるの
2025年11月5日


ありがとうございました!
神保町の胸弾む本屋さんーブックハウスカフェさんで、出版記念イベントを無事に楽しく開催することができました(^^) ご参加くださった皆さま、そして、お力を貸してくださったすべての皆さま、こころよりありがとうございました! お茶会☕️では、懐かしい皆さまともゆっくりお話しできて...
2025年9月18日


『新しい朗読ー語り手の体験を生きる読書法』について、たくさんのご感想をありがとうございます!
『新しい朗読ー語り手の体験を生きる読書法』について、多くのご感想を頂戴しています。心より感謝申し上げます。いくつか抜粋してご紹介させていただきます。 この度はご出版おめでとうございます。新しい朗読の定義を明確にし、わかりやすくまとめられた本を手にして感無量です。...
2025年9月2日


ブックハウスカフェさんでの特別なイベントです♪
残暑お見舞い申し上げます✨ 皆さま、お元気にお過ごしでしょうか? 今日は、9月17日(水)の嬉しい東京イベントをご案内します♪ 神保町のブックハウスカフェさんで、宮沢賢治の『いちょうの実』を朗読します(^^♪ ステキな空間で、賢治の豊かな作品世界をぜひご一緒ください☆...
2025年8月28日


新しい朗読のこと
新しい朗読は、語り手と同じ体験を試みて、作品世界を自ら生きようとする読書法です。 「語り手」の生きる世界が、目で読んでわからない。声を出して読んでみてもわからない。だったら、同じ体験をしてみよう♪ 自分の身体と五感と脳を、語り手と同じように使って、同じ体験を試みてみよう!という感じです。(…同じことをしたら何かわかるかもしれない!) 実際にやってみると、言葉が、音声を伴って自然に生まれます。 私たちは、用意された言葉に音声を与えるのではなく、言葉が生まれるーーその一瞬一瞬を生きます。 この朗読を続けていくと、「あ、以前より文学作品を豊かに味わってる♡」と気づく時が訪れます。大人になっても脳は育つのですね。 ーいつからでも、いくつになっても、人は学び、成長できるー 新しい朗読は、そう確信させてくれる幸せな読書法なのです(^^♪ ☆新しい朗読について4連載しています ↓ https://www.salon-de-mariko.com/post/%E6%96%B0%E3%81%97%E3%81%84%E6%9C%97%E8%AA%AD%E3%83%
2025年8月22日


文学を読むとは、「虚構世界を体験する」こと──再定義される朗読
文学作品は、「いまの脳で表現」するものなのでしょうか? 多くの人が、「朗読とは、いまの自分の脳で音声表現する行為」だと思っているようです。 あなたもそう思っていますか? でも、「いまの脳で表現できるもの」もあれば、「できないもの」もあり、「そもそも表現に向かないもの」もあり...
2025年8月14日


虚構世界に誘っちゃいましょう♪
「聞いている人に音声を届けたいという思いがあります」と、先日のレッスンでSさまが話してくださいました。 思いを言葉にして伝えてくださり、とてもうれしいです。 『新しい朗読』では、音声は(皆で)語り手に近づくための手段です。私たちは音声を目的にしません。しかし、Sさまの「音声を届けたい」という気持ちも理解できます。その思いを踏まえ、どのようなご提案ができるかを考えてみました。 「聞いている人に届けたいという思い」は、朗読者の意識を聞き手に向けてしまいます。すると、『新しい朗読』の本質である「語り手の体験をなぞる」ことに集中できなくなります。その結果、言葉と音声にズレが生まれます。 集中せずとも、自然に語り手と同じ体験ができるようになれば、言葉と音声にズレは生じません。とはいえ、音声で届きにくい文学作品を、あえて音声で聞き手に届けようとすると、どうしても作品の本質は損なわれてしまうでしょう。 それならば、音声で聞き手に届くことを前提に作られた作品を選ぶといいですね。 それに、音声で届く作品、例えば、読み聞かせ用につくられた物語の語り手は、(文字でしか
2025年8月13日


文学作品を朗読するときは、音声を目的にしないことが大切♪
『新しい朗読』における音声は、「表現」した結果ではありません。ここでいう表現とは、『解釈』を音声に反映させる行為のこと。 私たち一般の読者にとって、優れた文学作品は、『解釈』するより『理解』を目指すものではないでしょうか。...
2025年8月11日


「目を閉じていてもいい?」ーご質問ありがとうございます♡
先日のレッスンで、Uさまが次のような質問をしてくださいました。 「朗読するとき、目は閉じていてもいいんでしょうか?」 「もちろんいいですよ♪」とお答えしました。 そしていつものように、音声からUさまの体験に触れようとしたのですが、その体験の気配が…どうにも感じられないのです...
2025年8月1日


スタート地点に立ちましょう♪
私たちの朗読教室は、「表現する場」でも「表現を競う場」でもありません。文学作品の朗読は「表現」ではないので、優劣もなければ評価もないのです。 では、どんな場かというと… 「体験する場」であり、「それぞれの体験を持ち寄り、たのしく話し合いながら、皆で...
2025年7月29日
