

新しい朗読のこと
新しい朗読は、語り手と同じ体験を試みて、作品世界を自ら生きようとする読書法です。 「語り手」の生きる世界が、目で読んでわからない。声を出して読んでみてもわからない。だったら、同じ体験をしてみよう♪ 自分の身体と五感と脳を、語り手と同じように使って、同じ体験を試みてみよう!という感じです。(…同じことをしたら何かわかるかもしれない) 実際にやってみると、言葉が、音声を伴って自然に生まれます。 私たちは、用意された言葉に音声を与えるのではなく、言葉が生まれるーーその一瞬一瞬を生きます。 この朗読を続けていくと、「あ、以前より文学作品を豊かに味わってる♡」と気づく時が訪れます。大人になっても脳は育つのですね。 ーいつからでも、いくつになっても、人は学び、成長できるー 新しい朗読は、そう確信させてくれる幸せな読書法なのです(^^♪
2025年8月22日


文学を読むとは、「虚構世界を体験する」こと──再定義される朗読
文学作品は、「いまの脳で表現」するものなのでしょうか? 多くの人が、「朗読とは、いまの自分の脳で音声表現する行為」だと思っているようです。 あなたもそう思っていますか? でも、「いまの脳で表現できるもの」もあれば、「できないもの」もあり、「そもそも表現に向かないもの」もあり...
2025年8月14日


虚構世界に誘っちゃいましょう♪
「聞いている人に音声を届けたいという思いがあります」と、先日のレッスンでSさまが話してくださいました。 思いを言葉にして伝えてくださり、とてもうれしいです。 『新しい朗読』では、音声は(皆で)語り手に近づくための手段です。私たちは音声を目的にしません。しかし、Sさまの「音声を届けたい」という気持ちも理解できます。その思いを踏まえ、どのようなご提案ができるかを考えてみました。 「聞いている人に届けたいという思い」は、朗読者の意識を聞き手に向けてしまいます。すると、『新しい朗読』の本質である「語り手の体験をなぞる」ことに集中できなくなります。その結果、言葉と音声にズレが生まれます。 集中せずとも、自然に語り手と同じ体験ができるようになれば、言葉と音声にズレは生じません。とはいえ、音声で届きにくい文学作品を、あえて音声で聞き手に届けようとすると、どうしても作品の本質は損なわれてしまうでしょう。 それならば、音声で聞き手に届くことを前提に作られた作品を選ぶといいですね。 それに、音声で届く作品、例えば、読み聞かせ用につくられた物語の語り手は、(文字でしか
2025年8月13日


文学作品を朗読するときは、音声を目的にしないことが大切♪
『新しい朗読』における音声は、「表現」した結果ではありません。ここでいう表現とは、『解釈』を音声に反映させる行為のこと。 私たち一般の読者にとって、優れた文学作品は、『解釈』するより『理解』を目指すものではないでしょうか。...
2025年8月11日


「目を閉じていてもいい?」ーご質問ありがとうございます♡
先日のレッスンで、Uさまが次のような質問をしてくださいました。 「朗読するとき、目は閉じていてもいいんでしょうか?」 「もちろんいいですよ♪」とお答えしました。 そしていつものように、音声からUさまの体験に触れようとしたのですが、その体験の気配が…どうにも感じられないのです...
2025年8月1日


スタート地点に立ちましょう♪
私たちの朗読教室は、「表現する場」でも「表現を競う場」でもありません。文学作品の朗読は「表現」ではないので、優劣もなければ評価もないのです。 では、どんな場かというと… 「体験する場」であり、「それぞれの体験を持ち寄り、たのしく話し合いながら、皆で...
2025年7月29日


Yさまへのメール──朗読が育む「文学を受け取る力」
先日メールを整理していて、昨年(2024年)の夏にYさまにお送りしたメールを見つけました。いま読み返しても、『新しい朗読ー語り手の体験を生きる読書法』の核となる思いが詰まっていると感じます。皆さまにもご紹介しますね。 Yさま、メールをありがとうございます。うれしく拝読しました。 自分の経験に引き寄せて物事を考えるのは、私たち人間の常ですが、その経験を揺さぶり、視野を広げてくれるのが、小説や詩なのかもしれませんね。作品から、さまざまなことを学んでまいりましょう。 それにしても、虚構の世界をリアルに体験させてくれる『蜘蛛の糸』の語り手はお見事ですね!Yさまとご一緒に作品世界を体験できて、私もいつもワクワクしています。 より豊かな言語体系、より生きやすい価値観へと導いてくれるものを「文学」と呼ぶならば、その「文学」を受け取る力を育むのが「朗読」なのだと感じています。 「朗読は表現」という通念を見直して、「朗読を通して作品世界を体験」していきたいですね。そうすることで、文学作品を受け取る力がゆっくりと育ちます。そして、(言葉とともに
2025年7月25日


朗読を通して文学体験の悦びを味わいませんか♪
私たちが対象とする短編小説や詩は、声を与えることで完成する「台本」ではありません。その言葉たちは、すでに音声を内に宿しています。したがって、「音声を与えよう」とか「声で表現しよう」とかするのではなく、体験することに集中しましょう♪...
2025年7月12日


『新しい朗読ー語り手の体験を生きる読書法』7月末に完成予定♪その「あとがき」です(^^)
この本を最後までお読みくださったあなたに、心より感謝申し上げます。 『新しい朗読』は、長い年月をかけて、仲間たちとともに育んできた「読書のかたち」です。 本を「読む」という行為の根底には、語り手の体験を、自分の身体と五感と脳を使って追体験することができる、という可能性があり...
2025年6月26日


「わかっている」という誤解
私たちは、ときに、「わかったつもり」で作品について語ったり、感情を込めて読み上げたりしてはいないでしょうか。 『新しい朗読』は、「わかっている」という思い込みをそっとほぐしてくれる営みです。 私たちは朗読で、一つひとつの短編・掌編小説や詩を、 より深く理解すること...
2025年6月17日


朗読ってなんだろうと思ったことのある方へ…「創意工夫した音読」じゃない。朗読はもっとずっとたのしい♪
私はかつて、「朗読」とは、自分の解釈を反映させた読み上げ行為だと思っていました。けれど、いまならはっきり言えます。 本来の朗読は、もっと自由で、さらにたのしい営み です。 そもそも、日本の物語に「語り手」という概念が明確に登場したのは、実はそれほど古いことではありません。 たとえば『竹取物語』や『源氏物語』『平家物語』『南総里見八犬伝』などでは、語る主体が明示されておらず、物語は出来事や事件の連なりとして語られていました。だからこそ、琵琶法師や講談師のように、語り手の役割を朗読者が担うことも可能だったのです。 ところが明治時代になると、西洋小説の影響を受けて、日本文学にも「語り手」という存在を意識する動きが生まれます。坪内逍遥は『小説神髄』でその理論的枠組みを示し、二葉亭四迷は『浮雲』でその実践を試みました。 語り手は虚構世界に生きる独立した存在として描かれる ようになり、 小説の言葉も、「出来事を伝える道具」から「(語り手の)体験とともに生まれるもの」へと変化していきました。 これは朗読にとって、大きな転換点でした。語り手が独立した以上、読み手
2025年5月21日


序文 ようやく最終稿(^^)
新しい朗読ー語り手の体験を生きる読書法ー 【序文】 かつて朗読は、声を出して物語を伝える行為とされ、多くの人が「朗読=音声表現」と捉えてきました。ここであえて過去形を用いたのは、その時代背景を理解することで、現代における新たなアプローチの意義が浮き彫りになると考えたからです...
2025年3月20日


新しい朗読ー語り手の体験を生きる読書法ー 序文
『新しい朗読ー語り手の体験を生きる読書法』と題して文章を書いています(^^♪ 全六章をひとまず書き終わり、いま推敲中です(本になるかな〜♡)。序文、よろしければお読みください(^^) 【序文】 かつて朗読は、声を出して読む行為であり、声による伝達と表現の手段だった。...
2025年2月26日


朗読の本質
朗読という行為は、明治時代に一度死にました。そして、 生まれ変わった状態で、今ここに存在しています。 かつての朗読、つまり明治時代に死んだ朗読は、文学作品を声を出して読む行為であり、聴き手に伝えるための表現でした。しかし、小説の誕生によって文学作品そのものが変化し、朗読はその役割を終えたのです。 文学は、出来事を語るものから人間の思考や感情を掘り下げるものへと進化しました。伝達の言葉ではなく、思考の言葉が重視されるようになった結果、音声で聴き手に伝える手段としての朗読は衰退し、声を出さない「黙読」が定着しました。 ところが、黙読ではどのように読めばよいかを子どもたちに教えられないという問題が生じました。そこで、教育の場では再び声を出して読む「音読」が生まれました。そして、「ただ声を出して読むのが音読、創意工夫して読むのが朗読」という誤解が広まりました。しかし、創意工夫して読むのは朗読ではなく、「創意工夫した音読」に過ぎません。 小説の誕生によって一度死んだ朗読が、生まれ変わるためには、新しい意味を持つ必要がありました。それが、 「語り手の体験と同
2025年2月16日


文化のみち二葉館にて、講演と朗読のつどい♪
今年も、中京大学アクティブ・ラーニング研究会の皆さんとともに詩を豊かに味わうワクワクする機会を頂戴しました♪今回は、現代詩の母といわれる永瀬清子さんの詩と向き合います。 文学作品の朗読は、言語主体である 〈語り手〉に注目する読書...
2024年8月30日


“文学作品の朗読”で脳育♪
いつもブログをお読みくださってありがとうございます!今日も“文学作品の朗読”を愉しんでいらっしゃいますか?声を伴う伴わないにかかわらず、〈語り手〉の体験と同じ体験を試みていれば…それは文学作品の朗読だと考えましょう♪ 脳を育てるには、文学作品の朗読がいいですよ〜と、日々ワク...
2024年6月17日


『夢十夜』より「第一夜」を読む -2-
小説の〈語り手〉は… ❶知覚して言葉が生まれる体験 ❷思考して言葉が生まれる体験 ❸行動して言葉が生まれる体験etc [〇〇して言葉が生まれる体験]をしていると考えて、「第一夜」の〈語り手〉である男の[言葉が生まれる体験]を探ってみましょう♪ 【①】 ①の男の身体は、寝起きでぼーっとしているように感じます。(あー自分、いま夢見てたなー、きれいな女がいたなー、穴ほったなー…)と記憶をゆるくたどりながら、「こんな夢を見た」という言葉が生まれたのでしょう←❷。さっそく②から夢の世界に戻っていってますから、①はしっかりと覚醒して語るのではない、のでしょうね(^^) 【②】 ②は時間軸の行ったり来たりが面白いと思いました。この②のシーンで、女は2回「もう死にます」と言ってる?それとも1回? 最初の文は、3つの語りでできていますね。「腕組をして枕元に坐っていると」と、「仰向に寝た女が」と、「静かな声でもう死にますという」の3つ。 この男、ぼーっとした頭で語り始めるのでしょう。(自分、なんだか腕組んでるよな〜、場所は…枕元なんだろうな〜)程度の認識から、「腕組
2024年2月24日


小説の〈語り手〉を追体験して(=朗読して)、新しい体験を増やす♪
小説は、すぐ解釈するものではなく、まず体験するもの。作品世界を、(他人事ではなく)自分ごととして体験することで、わたしたちは、新鮮な感覚や瑞々しい心情に出逢うことができます♪ 小説には、小説を語り進める〈語り手〉がいて、わたしたちに、どのように体験すればよいかを教えてくれま...
2024年2月14日


朗読読書会2024
夏目漱石・作『夢十夜』の『第一夜』は、掌編ですけれども、たいへん奥深い小説です。とてもとても“音声”で“聴き手”に届けられる作品ではありません。したがって、この作品に対応するのは、「音声表現する朗読」ではなく、「〈語り手〉を追体験する朗読」ということになりますね(^^)...
2024年2月8日


あけましておめでとうございます✨
あけましておめでとうございます🎍 本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。 皆さまにとって喜びいっぱいの年となりますように☆彡 【2024年3月イベントのご案内】 宗川諭理夫さまと高田映介先生のお力をお借りして、3月3日(日曜)『朗読読書会』を開催することとなりました。...
2024年1月1日
