文学を読むとは、「虚構世界を体験する」こと──再定義される朗読
- marikoroudoku
- 8月14日
- 読了時間: 4分
更新日:8月29日

文学作品は、「いまの脳で表現」するものなのでしょうか?
多くの人が、「朗読とは、いまの自分の脳で音声表現する行為」だと思っているようです。
あなたもそう思っていますか?
でも、「いまの脳で表現できるもの」もあれば、「できないもの」もあり、「そもそも表現に向かないもの」もあります。それをわきまえるのがとても重要なことだと、私たちは考えています。
[音声作品と文学作品の違い]
音声で聞き手に届く前提で創作された作品は、一度読めばわかる、つまり、「現在の自分の脳で理解できるもの」なのかもしれません。けれども、文字で読者に届く前提の文学作品は、どうでしょう?
[長さではなく、深さの問題]
それは、作品の長さの問題ではありません。たとえ短くても、奥深い短編小説や現代詩は、いまの自分の脳の働きでは理解しがたいことがあります。私たちは、そのような作品を「わかったこと」にして、つまり解釈して、さらに表現している場合ではないのかもしれません。
[大人こそ、文学から学ぶ謙虚さを]
慢心せず、「本当にわかっているのだろうか…」と、何度でも立ち止まるーーその姿勢がとても大切なのではないでしょうか。「わかっている」という思い込みは、私たちの学びを邪魔します。文学作品と向き合うときには、言葉の向こうに、虚構世界を生きる「語り手」という他者を感じ取りましょう。語り手は、大人の私たちに多くの学びを与えてくれます。謙虚さがあれば、その学びをきっと受け取れるはずです。
[『新しい朗読』とは何か]
奥深い文学作品の朗読を、「語り手と同じ体験を試みる行為」と捉え直してみましょう。このように朗読を再定義し、実際に試してみると…「音声は体験とともに自然に生まれる」と気づくことができます。再定義した朗読の実践を重ねることで、「音声は語り手をより深く理解するための手段になる」という考えにも、たやすく到達することでしょう。
[語り手と同じことをやってみる]
語り手を理解するために、自分の身体と五感と脳を駆使して、語り手と同じことをやってみる。きわめて原始的な方法ですが、これこそが『新しい朗読』という読書法です。
[大人の脳も成長する読書法]
『新しい朗読』には、大人の脳を育てるという側面があります。
脳は、まず、柔らかくなります。朗読を通して脳が柔らかくなるなんて、不思議でしょう?でも、実際にこの読書法を続けると、いつの間にか脳が柔らかくなっている、つまり新しい神経結合が生まれる準備が整っているのです。柔らかな脳だからこそ、語り手から学びを得て作品を理解できるのですね。
文学作品は、私たち読者に新しい体験を与えてくれます。そして、この新しい体験が、大人の脳を成長させるのです。
[再現ではなく、脳を育てるために]
文学作品は、いまの脳の認知のありようを拡張させてくれるもの。いまの自分の脳のままで解釈するものではないのでしょう。音声技術や感情操作でなんとか表現しようとするのは、そろそろあきらめませんか。言葉とぴったり合う体験を探すと、ぴったりの音声もついてきます。
『新しい朗読』の核心は、文学作品の朗読を通して脳を柔らかくし、語り手から学びを得て、その作品を「理解できる脳にする」こと。
目的は「うまく読むこと」ではなく、朗読を通して、認知や感覚を刷新し、語り手の生きる虚構世界を生きることです。
[虚構世界を生きるということ]
文学作品の朗読は、虚構世界を生きようとする試みです。多くの人が思っているような「読み方の練習」ではありません。
語り手の体験を、他人事ではなく自分ごととして生きてみましょう。そのとき、私たちの脳は、現実では得られない新しい体験を得て、成長するのです。
[音声は副産物]
声も間も抑揚も、虚構世界を生きるときの副産物。作ろうとしなくても、体験とともに自然に現れます。どうぞ安心して、声を伴った言葉が体験とともに生まれてくる、その感覚を味わってみてください。
新しい朗読のさらなる魅力や、詳しい実践方法は、本『新しい朗読ー語り手の体験を生きる読書法』にまとめています。
学びを愉しみたいあなたに、ぜひゆっくりお読みいただきたいと願っています(^^)
本購入のお申し込みは、このホームページのcontactからどうぞ。ご感想もお待ちしておりますね!




コメント