新しい朗読ー朗読家って?
- marikoroudoku
- 2025年11月5日
- 読了時間: 5分
更新日:2025年11月22日

名古屋西高校での授業の際、「朗読家って初めて知りました!」という生徒の声に、私も思わず「たしかに!」と頷きました。
「朗読家」という仕事、日常であまり耳にしないかもしれませんね。今日は、あらためて「朗読家とは何か」を考えてみたいと思います。
■アナウンサー、俳優や声優、朗読家の比較
アナウンサー:伝達者/アナウンス原稿を読み上げ、聞き手に「わかりやすく伝える」ことを目指す
俳優や声優:表現者/台本の台詞を表現し、観客に「作品を魅力的に届ける」ことを目指す
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朗読家:体験する読者/文学作品の語り手を追体験し、「作品世界を生きる」ことを目指す
朗読家は、聞き手や観客に届けるために表現するのではなく、「語り手という他者の体験」を「自分の体験」として、ただ生きようとします。つまり、言葉が生まれる瞬間を生きるのです。したがって朗読家の音声は、「表現」ではなく、体験とともに自然に生まれる「表出」と捉えましょう。
アナウンサー、俳優・声優、朗読家。いずれも言葉と向き合う点では同じかもしれません。けれども、扱う言葉が異なるので、その目的も、達成までの道のりも、大きく異なります。
■朗読家として活動をリスタート
フリーアナウンサーの肩書きで2001年に朗読指導を始めた私は、2011年「文学作品の語り手」という概念を学び、朗読家と名乗ることを決めました。アナウンス原稿と文学作品では、そこに並んでいる言葉が全く別のものだーーそう得心したことがきっかけです。
アナウンサーの使命は、情報を伝達するために用意した(もしくは用意された)言葉を、聞き手にわかりやすく正確に届けることなのでしょう。アナウンサーは聞き手と向き合います。
一方、朗読家の使命は、言葉が生まれる体験そのものを生きるーーつまり、他者の言葉の生成に立ち会うことです。したがって、朗読家に「聞き手に届けよう」という意識は必要ありません。意外に感じるかもしれませんが、朗読家が向き合うのは「語り手」その人であって、聞き手ではないのです。
文学作品の言葉は、読者一人ひとりが、自分自身で、読み深めていくもの。その奥行きは、「音声で届ける」性質のものではありません。新しい朗読を通して、自ら発見していくものです。音声で届くアナウンス原稿や上演台本の言葉とは異なり、特別な性質を宿しているといえます。
そのような言葉と向き合う朗読家に求められるのは、語り手の体験を生きることに集中する覚悟にほかなりません。
■朗読指導について
朗読講座や朗読の授業というと、「わかりやすく伝える技術」や「見映え(聴き映え)のする音声表現」の指導を受ける場だと思われがちですが、「新しい朗読」の教室はそうではありません。
私たちの教室では、皆で、「文学作品の作品世界を生きるための読書法」に取り組んでいます。仲間とともに試行錯誤をたのしみながら「言語力」と「想像力」を育てます。そして、(語り手との共同作業で)作品世界を創造し、(語り手の体験を)自分ごととしてその世界を生きることを学びます。
朗読の音声についても触れておきましょう。
教室にいるときも、朗読会でマイクの前に立つときも、朗読の声は、“出す”ものではなく、“体験とともに生まれる”もの。それは、聞き手を意識した「表現」ではなく、ふとこぼれる独り言のように、自然に生まれてくる「表出」です。
語り手の言葉にふさわしい音声は、つくるものではなく、作品世界を生きて出逢うもの。私たちは、作品世界を生きる試みのなかでこそ、「言葉にふさわしい音声」と出逢うことができます。つまり、言葉にふさわしい体験をしたとき、はじめて、言葉にふさわしい音声が自ずと生まれてくるのです。
■文学作品の作品世界を生きるには
文学作品の作品世界とは、語り手が生きている虚構世界。私たち読者は、語り手に接近することで、語り手のいる虚構世界を生きるという「文学体験」を獲得することができます。
大事なのは、「文学作品の語り手は他者である」という意識を持つこと。この意識を忘れると、私たち読者は、語り手のいない虚構世界を歩いているにも関わらず、あたかも作品世界を生きたかのような錯覚に陥りがちです。
では、他者である語り手に接近するには、どうすればよいのでしょうか?
『新しい朗読ー語り手の体験を生きる読書法』でも解説しましたが、語り手の体験を推察し(=仮説)、自分でその体験を試みる(=検証)。この仮説と検証の2ステップを繰り返すことで、少しずつ語り手に接近しましょう。
体験とともに言葉が生まれるーーそれが文学作品の語り手です。したがって、語り手と同じ体験を試みると、私たちからも自然に音声が生まれます。その音声は、仲間とともに語り手に接近する際の手がかりとなりますよ。
文学作品を読むとは、作品世界を生きる試みなのでしょう。その試みがうまくいくと、読むという行為は、文学体験という「新しい体験」となります。そして…
そのとき、私たちは、読むという行為を通して、言葉にふさわしい体験をしている自分、言葉にふさわしい音声が表出している自分ーーそんな「新しい自分」を発見するのです。
文学作品の朗読は、語り手の体験を生きる読書法。読書を通しての「他者体験」は、自分を成長させてくれる旅のように感じています。
さて、あなたにとって、「文学作品を読む」とはどんな「体験」でしょうか?
『新しい朗読ー語り手の体験を生きる読書法』(定価2700円):ご興味をお持ちの方は「コンタクト」からお申し込みください。




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