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私がととのう読書時間ー朗読という読書法の魅力ー〈2〉

  • 1 日前
  • 読了時間: 10分

更新日:13 時間前


『私がととのう読書時間 ー朗読という読書法の魅力ー〈1〉』では、朗読は、上演領域に属する表現行為とは異なり、読書領域における「作品世界を自分ごととして生きようとする体験行為」であることをみてきました。

今回は、「朗読という体験」へと進んでいきます。



 ■ 朗読の定義


サロンドマリコでは、朗読を、「(文学作品の)語り手の体験と同じ体験を試みる行為」と定義しています。


語り手の体験と同じ体験を試みる過程で、身体の一つの反応として、言葉が自然に生まれ出ます。言葉に付随して出る音声は、意識して整えた音声とは、そもそも生成のありようが異なります。



■ 朗読は読書法である


 サロンドマリコは、「文学作品の世界を自分ごととして生きようとする読書法」として、朗読を提唱しています。


朗読者は、目の前の言葉を手がかりにして、語り手の体験について仮説を立て、自らの身体と五感と脳を使って検証します。


この仮説と検証の往還を、ときには一人で、ときには仲間とともに愉しんでいるうちに、語り手との距離は徐々に縮まり、自分ごととして作品世界を歩けるようになっていきます。




☆[サロンドマリコの朗読メソッド]☆


 □ はじめに


最初は、詩や児童文学など、短いけれど奥深い作品をテキストにして、ゆっくりと『サロンドマリコの朗読メソッド』に慣れていきましょう。


サロンドマリコでは、1年目に谷川俊太郎さんや茨木のり子さんの詩、2年目に山下明生さんやあまんきみこさんの児童文学、3年目に漱石や芥川の短編小説に取り組みます。

ここまでくる間に、どのような作品であっても豊かに愉しめるようになっています。


朗読という読書法は、文学作品を深く味わう力を育んでくれるのです。



□ 準備①:一通り最後まで読む


これより、左脳・右脳という言葉は、情報処理の傾向をわかりやすく示すために、便宜的に用いることとします。


ひとまず最後まで読みましょう。左脳(言語脳)メインで情報を処理しながら、あらすじをつかんでいく感じです。



 □ 準備②:右脳でイメージする


あらすじがつかめたら、今度は、右脳(イメージ脳)にさらに活躍してもらいましょう。


 読む速度を落としたり、立ち止まったりして、虚構世界をイメージしながら読んでみます。語り手の言葉が、あなたの「強い感情を伴う記憶」にコミットすることで、あなた独自のイメージが生まれることもあるでしょう。


・何か見えてきましたか?色?形?景色?それとも…

・何か聞こえていますか?心地よい響き?騒音?それとも…

・においを感じますか?どんな?

等々、たっぷりと時間をかけて、脳内に虚構世界を立ち上げるつもりで進めましょう。


 「いつもの黙読と同じだ」と思いましたか?「えっ、2回も読むの?」と思いましたか? ここまでで、読めた気になる人も多いことでしょう。

でも、『サロンドマリコの朗読メソッド』では、これは準備段階です。


準備が整ったところで、さあ、始めていきます。




■ 仮説を立てる[認知から、知覚と身体へ]/語り手の体験を推察し、虚構世界を立ち上げる


虚構世界を立ち上げようとする「語り手の言葉」は、「語り手の認知そのもの」と考えられます。(認知と切り離され、後から整えられたものではありません)


語り手の認知をそのまま記述したものが文学作品であり、読者はその言葉によって「語り手の認知」に触れることができるーーこうした捉え方で、朗読を愉しみましょう。


【脳内に虚構世界を立ち上げる】


「認知」と「知覚・身体のありよう」は直結しています。

 だからこそ、私たち読者は、句読点や改行等で区切られた「一つひとつの語り」を手がかりに、語り手の「脳(認知)・五感(知覚)・身体のありよう」に近づくことが可能になるのです。


⚫︎ この認知は、どんな知覚で生まれたのだろう?


・〇〇を見たのだろうな


・〇〇が聞こえているのかな


・〇〇を感じているのかな…etc



⚫︎ 知覚しているときの身体はどんなだろう?


・〇〇にいるのだろうな


・前のめりになっているかも


・位置をこう変えたのかな…etc


このように、語り手が見ているもの・聞いている音等々について仮説を立ててみましょう。立ち止まって、ゆっくり思いを巡らせます。仮説に良いも悪いもありません。いくつも浮かんできますか?いろいろあって豊かですね。時間が経つと、その中の一つが、より「語り手の体験に近い」と感じられるようになるかもしれません。


その仮説に沿って、語り手の置かれている状況(空間と時間)をイメージしてみましょう。語り手の生きている虚構世界が、少しずつ脳内に立ち上がってきます。


私たちは往々にして、語り手が見ているものではなく、自分が見たいものを見ています。

この段階でそれに気づくと、最初にイメージした虚構世界の風景は様変わりするかもしれませんね。もちろん、そのままのこともあるでしょう。


語り手への接近を急ぐことなく、面白がりながら、のんびり進めましょう。 すると知らぬ間に、右脳も左脳もふかふかに耕されていきます。



【虚構世界を現実世界に映し出す】


脳内にイメージした虚構世界を、目の前の現実世界にぼんやり映し出してみましょう。二重映しに見るような感覚です。


もちろんはっきり見えなくて大丈夫。見ようとする、感じようとする、それでじゅうぶんです。 「あ、なんとなく見える気がする」と思えたら、その感覚こそが宝物です。


もしかすると、現実世界に映し出そうとして初めて、「あ、イメージが中途半端だった」とか「細部をイメージし忘れていた」とか、気づけることがあるかもしれませんね。そのときは、またのんびりとイメージを育てます。慌てずに、現実世界に映し出しましょう。


 (現実世界に二重映しとなった)虚構世界のなかに、「自分の身体」があります。次に行う「仮説の検証」では、この身体を使います。



■ 仮説を検証する[知覚と身体から、認知へ]/虚構世界を自ら体験してみる


「じゃ、やってみよう」と、軽やかに始めましょう。現実世界に二重映しのように立ち上げた虚構世界へ、ひょいと身体ごと行きますよ。その世界を「自分の身体」で生きてみます。


【知覚の違いを面白がる】


あなたの「その身体と五感」は、仮説を立てた「語り手の知覚」と同じように働くでしょうか?


そうとは限らないでしょう。同じ場所に身を置いても、気になるものは人それぞれです。

たとえば、仮説にしたがって「外を見ようと窓辺の椅子に座ってみた」とき、遠くが気になって遠くの山を見る人もいれば、上のほうが気になって空を見上げる人や、下のほうが気になって庭の花を見る人もいます。「あ、汚れてる」と窓ガラスを見る人だっています。意識の向かう先は、一つに決まりません。これも豊かさですね。


この体験で、自分の興味・関心がどこに向かいやすいのか、気づくことができるかもしれません。それと同時に、語り手に対する理解もぐっと深まります。



【認知の違いを面白がる】


自分と語り手の知覚が「だいぶ違う」にしろ「けっこう似てる」にしろ、その違いをそのまま受け入れて、今度は、仮説を立てた「語り手の知覚」を試みながら、虚構世界を生きてみましょう。


(このあたりの場所から、あそこにある〇〇を見るんだな。じゃ、やってみよう)といった感じで、軽快にチャレンジしましょう。ふだんの生活の中で、ふっと思い出して、ふっとやってみる。何度かやっていると、自然に虚構世界を生きている感覚になります。

 

では、虚構世界を生きて「その知覚」を試みた瞬間、あなたの脳内にふっと浮かんだのはどんな言葉でしょうか?


「私の認知は…」と考えるものではなく、知覚した途端にふっと浮かぶ。それが「あなた自身の認知」です。


たとえば花を見たとき、「花」なのか、「白い花」なのか、「小さい」なのか、「可憐な花」なのか、「かわいい」なのか。もしかすると「いい匂い」かもしれませんね。


認知そのものの言葉を、たとえば「独り言」のように、外へ出してみましょう。こぼれるように自然に出てくる、その感覚を味わいましょう。声量など気にせずに大丈夫です。


言葉が出てこなかったり、語り手とは違う言葉が生まれたりするのは、当たり前に起こることです。あらためて「仮説を立てる」段階に立ち返りましょう。一気に進まないからこそ、語り手に対する理解がさらに深まっていきます。


語り手と酷似した認知ならば(かなり稀なことだと思いますが)、語り手と同じ言葉が次々と生まれるのかもしれません。でも、ひょっとしたら、無意識に自分の認知に蓋をして、本当は語り手とはずいぶん違う認知なのに、(言葉を覚えてしまったせいで)語り手と同じ言葉を「発して」いるのかもしれません。


さまざまな可能性を視野に入れて、自分の身体をていねいにみてあげましょう。


「言葉と体験」の調和も不調和も、心地よさや違和感として、身体が教えてくれます。

たとえば、感情は(認知や行動に伴って)自然に湧いてきますか?「こんなふうかな」とか「きっとこうだ」とか、感情を頭で作り出してはいないでしょうか?


仮説を立てるときにも、検証するときにも、試行錯誤を愉しみましょう。「試行錯誤の一つひとつ」が、朗読という読書法で得られるかけがえのない財産です。


慣れないうちは、サロンドマリコがそっと伴走します。安心して、のびのびトライを重ねましょう。




■ 仮説と検証の反復/軽やかに回を重ねる


2回目、3回目…と軽やかに回を重ねるうちに、認知の解像度が上がり、より具体的な虚構世界のイメージが鮮明に立ち上がるようになってきます。


仮説が洗練されていくと、それに呼応するように、目や耳、身体の使い方といった「知覚のありよう」は繊細になり、自分とは異なる(語り手特有の)認知が腑に落ちるようになってきます。


語り手との距離が縮まると、言葉では掬いきれない「語り手ならではの認知」が、しみじみと実感できるようになることでしょう。


その認知を試みたくて、使い慣れた回路とは異なる回路を使おうとすると、最初、身体がモゾモゾします。これがいいんです。自然な現象です。

何度も繰り返していると、だんだん慣れてきます。新しい認知のありようが、やわらかに身体に馴染んでくる感覚です。

のんびり愉しんでいると、やがて「語り手の言葉」が、違和感なく、自然に生まれてくるようになります。


脳内に「新しい認知回路」が敷設されつつあることを面白がる。これが、語り手への接近をたのしむコツかもしれません。




■ 虚構世界の体験を仲間と共有する


世界を認知した身体の反応として、語り手と同じ言葉が生まれるようになったら、その虚構体験を、そのまま仲間と共有するのもいいですね。


朗読の音声は、朗読者の体験(どのように虚構世界を生きているか)と直結しています。だからこそ、その体験を皆で共有する手段となります。


虚構体験の共有は、新たな発見や思いがけない気づきにつながることでしょう。言葉を交わすうちに、語り手との距離はさらに縮まります。


なにより、仲間とともに仮説と検証を重ねる時間そのものが、私たちに優しい悦びを与えてくれると思います。




【注】サロンドマリコの朗読メソッドは、常にこのスタイルで適用するものではありません。作品の長さや性質に応じて、部分的に取り入れたり、ゆるやかに用いたりしていきます。



■ まとめ


大事にしたいのは、虚構世界を「語り手とともに歩く」感覚です。


語り手と同じように見てみる。語り手と同じように聞いてみる。語り手と同じように感じてみる。そのとき湧き上がってくる心情や身体感覚を、きちんと立ち止まって、時間をかけて、じっくりと味わう。


この朗読の取り組みは、私たち大人にも「新しい体験」をプレゼントしてくれます。新しい体験は、脳のありように変化をもたらします。


現実世界に戻ったとき、朗読する前の自分とは違う「新しい自分」に出逢えるかもしれません。




ー追記ー


じつは、知覚に伴って、脳内では多くの認知回路が働きます。その中で意識の光が当たった回路が、「認知の言葉」として現れるのでしょう。


ときに認知回路は、意識の光が当たるよりも前に、さらに深いところで強い感情や欲求と結びつきます。そして、「思考の言葉」として現れたり、(言葉として現れることなく)直ぐに行動に結びついたりします。


人間の脳の働きはとても豊かです。このあたりは、愉しく朗読を実践しながら、少しずつ解明していきましょう。

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Salon de Marikoのロゴは、ハートの形をモチーフにしています。文学作品を味わう過程と時間を、朗読で、人と共にすることで、心(脳)が豊かに育つことを表しています。また「サロン」は、人の温かみのある上質な学びの時空間を表しています。

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