

新しい朗読ー「語り手の言葉なんだ!」と何度でも思いましょう♪
わたしたちが朗読教室で取り上げる詩や短編小説は、「文学作品」とよぶにふさわしい奥深いものです。 その作品世界は、唯一無二の語り手の言葉によってーーなんと言葉だけで!ーーわたしたちの右脳に立ち現れてきます。 わたしたちが朗読する言葉は、アナウンス原稿に並ぶ伝達の言葉とは異質のものです。左脳で処理するにとどまらず、右脳を使って「語り手の身体のありようや五感・脳のはたらき」を感じとりましょう(←ステップ1)。そして、「語り手と同じ身体のありよう」をして、自らの五感と脳を「語り手と同じように」と意識してはたらかせてみましょう(←ステップ2)♪ いつもこのようにお話ししています。しかし、ときに、ステップ1・ステップ2に取り組むことなく、つい、自分の思い込みの中で、方向の違う取り組みを続けてしまうことがあります。 「どんな表現が適切かしら?」「どのような声を出そうか?」「きっとこういう声がふさわしい!」「このように表現するのがぴったりなのでは…」といったような従来通りの思考に囚われているのかもしれません。 このような考えが浮かんだら、「あ、違った!これは語り
2025年10月25日


新しい朗読ー文学作品を読むということー
多くの人の前で朗読する際には、どうしても聞いている人を意識してしまいますよね。 朗読を伝達行為と捉えると、うまく読めているか、声は聞き取りやすいか、間違えないか。そのようなことが気になります。 ここで少し、朗読と文章の関係について考えてみましょう。朗読と文章は切り離せません。文章の種類によって、朗読のありようも変わると考えるのが自然ではないでしょうか。 アナウンス原稿のような文章の朗読は、まさしく伝達行為だと考えられます。では、フィクションはどうでしょう?アナウンス原稿の朗読と同じような伝達行為なのでしょうか? たとえば物語。一度読めば理解できるわかりやすい文章は、 音声でも手渡すことができそうです。 音声のほうが豊かに届く場合も多々あると思います。でも、伝達行為という言葉ではしっくりきません。 物語の朗読ーーいわゆる「読み聞かせ」をする際には、「私がわかりやすく伝える」「私が魅力的に表現する」というより、「私はただ作品世界を生きる。そうすることで、聞き手もまた作品世界を生きることができるんだ」 といった心持ちで、体験をたのしむのがいいのだろうと
2025年10月10日


朗読の授業〜名古屋西高校2025
9月〜12月、名古屋西高校の三年生の皆さんに向けて、朗読の授業を行っています。 こうして毎年この時間を持てて本当にありがたいです。私は幸せ者だなぁと感謝の気持ちが湧いてきます♡ 朗読の概念を更新し、読書法として活用することで、文学作品への向き合い方がぐっと深まります。...
2025年10月2日


ありがとうございました!
神保町の胸弾む本屋さんーブックハウスカフェさんで、出版記念イベントを無事に楽しく開催することができました(^^) ご参加くださった皆さま、そして、お力を貸してくださったすべての皆さま、こころよりありがとうございました! お茶会☕️では、懐かしい皆さまともゆっくりお話しできて...
2025年9月18日


『新しい朗読ー語り手の体験を生きる読書法』について、たくさんのご感想をありがとうございます!
『新しい朗読ー語り手の体験を生きる読書法』について、多くのご感想を頂戴しています。心より感謝申し上げます。いくつか抜粋してご紹介させていただきます。 この度はご出版おめでとうございます。新しい朗読の定義を明確にし、わかりやすくまとめられた本を手にして感無量です。 『やま』という詩では、自分の身体を使う、五感を使う、脳を使う、という体験の行程を繰り返しながら、語り手の体験に近づけたのではと思っています。(『はまべのいす』『百万回生きたねこ』等、わかった瞬間の喜びに胸躍りました) この本を手元に置き、これからも面白がって脳を耕したいと思います。ステップ1の段階で理解できた気にならず、ステップ2の「言葉を離れて体験する段階」にチャレンジですね。ご指導のほどよろしくお願い申し上げます。 ーーYさま、共に歩いてくださって本当にありがとうございます♡(語り手の)言葉を離れて体験した結果、語り手とは異なる言葉が生まれたとき、悦びましょうね。なぜなら、自分自身の体験がわかるから。まず、自分の体験をうれしく受け入れる。すると、語り手と繋がる道の扉が開きます!ご一緒
2025年9月2日


ブックハウスカフェさんでの特別なイベントです♪
残暑お見舞い申し上げます✨ 皆さま、お元気にお過ごしでしょうか? 今日は、9月17日(水)の嬉しい東京イベントをご案内します♪ 神保町のブックハウスカフェさんで、宮沢賢治の『いちょうの実』を朗読します(^^♪ ステキな空間で、賢治の豊かな作品世界をぜひご一緒ください☆...
2025年8月28日


新しい朗読のこと
新しい朗読は、語り手と同じ体験を試みて、作品世界を自ら生きようとする読書法です。 「語り手」の生きる世界が、目で読んでわからない。声を出して読んでみてもわからない。だったら、同じ体験をしてみよう♪ 自分の身体と五感と脳を、語り手と同じように使って、同じ体験を試みてみよう!という感じです。(…同じことをしたら何かわかるかもしれない) 実際にやってみると、言葉が、音声を伴って自然に生まれます。 私たちは、用意された言葉に音声を与えるのではなく、言葉が生まれるーーその一瞬一瞬を生きます。 この朗読を続けていくと、「あ、以前より文学作品を豊かに味わってる♡」と気づく時が訪れます。大人になっても脳は育つのですね。 ーいつからでも、いくつになっても、人は学び、成長できるー 新しい朗読は、そう確信させてくれる幸せな読書法なのです(^^♪
2025年8月22日


文学を読むとは、「虚構世界を体験する」こと──再定義される朗読
文学作品は、「いまの脳で表現」するものなのでしょうか? 多くの人が、「朗読とは、いまの自分の脳で音声表現する行為」だと思っているようです。 あなたもそう思っていますか? でも、「いまの脳で表現できるもの」もあれば、「できないもの」もあり、「そもそも表現に向かないもの」もあり...
2025年8月14日


虚構世界に誘っちゃいましょう♪
「聞いている人に音声を届けたいという思いがあります」と、先日のレッスンでSさまが話してくださいました。 思いを言葉にして伝えてくださり、とてもうれしいです。 『新しい朗読』では、音声は(皆で)語り手に近づくための手段です。私たちは音声を目的にしません。しかし、Sさまの「音声を届けたい」という気持ちも理解できます。その思いを踏まえ、どのようなご提案ができるかを考えてみました。 「聞いている人に届けたいという思い」は、朗読者の意識を聞き手に向けてしまいます。すると、『新しい朗読』の本質である「語り手の体験をなぞる」ことに集中できなくなります。その結果、言葉と音声にズレが生まれます。 集中せずとも、自然に語り手と同じ体験ができるようになれば、言葉と音声にズレは生じません。とはいえ、音声で届きにくい文学作品を、あえて音声で聞き手に届けようとすると、どうしても作品の本質は損なわれてしまうでしょう。 それならば、音声で聞き手に届くことを前提に作られた作品を選ぶといいですね。 それに、音声で届く作品、例えば、読み聞かせ用につくられた物語の語り手は、(文字でしか
2025年8月13日


文学作品を朗読するときは、音声を目的にしないことが大切♪
『新しい朗読』における音声は、「表現」した結果ではありません。ここでいう表現とは、『解釈』を音声に反映させる行為のこと。 私たち一般の読者にとって、優れた文学作品は、『解釈』するより『理解』を目指すものではないでしょうか。...
2025年8月11日


「目を閉じていてもいい?」ーご質問ありがとうございます♡
先日のレッスンで、Uさまが次のような質問をしてくださいました。 「朗読するとき、目は閉じていてもいいんでしょうか?」 「もちろんいいですよ♪」とお答えしました。 そしていつものように、音声からUさまの体験に触れようとしたのですが、その体験の気配が…どうにも感じられないのです...
2025年8月1日


スタート地点に立ちましょう♪
私たちの朗読教室は、「表現する場」でも「表現を競う場」でもありません。文学作品の朗読は「表現」ではないので、優劣もなければ評価もないのです。 では、どんな場かというと… 「体験する場」であり、「それぞれの体験を持ち寄り、たのしく話し合いながら、皆で...
2025年7月29日


Yさまへのメール──朗読が育む「文学を受け取る力」
先日メールを整理していて、昨年(2024年)の夏にYさまにお送りしたメールを見つけました。いま読み返しても、『新しい朗読ー語り手の体験を生きる読書法』の核となる思いが詰まっていると感じます。皆さまにもご紹介しますね。 Yさま、メールをありがとうございます。うれしく拝読しました。 自分の経験に引き寄せて物事を考えるのは、私たち人間の常ですが、その経験を揺さぶり、視野を広げてくれるのが、小説や詩なのかもしれませんね。作品から、さまざまなことを学んでまいりましょう。 それにしても、虚構の世界をリアルに体験させてくれる『蜘蛛の糸』の語り手はお見事ですね!Yさまとご一緒に作品世界を体験できて、私もいつもワクワクしています。 より豊かな言語体系、より生きやすい価値観へと導いてくれるものを「文学」と呼ぶならば、その「文学」を受け取る力を育むのが「朗読」なのだと感じています。 「朗読は表現」という通念を見直して、「朗読を通して作品世界を体験」していきたいですね。そうすることで、文学作品を受け取る力がゆっくりと育ちます。そして、(言葉とともに
2025年7月25日


朗読を通して文学体験の悦びを味わいませんか♪
私たちが対象とする短編小説や詩は、声を与えることで完成する「台本」ではありません。その言葉たちは、すでに音声を内に宿しています。したがって、「音声を与えよう」とか「声で表現しよう」とかするのではなく、体験することに集中しましょう♪...
2025年7月12日


『新しい朗読ー語り手の体験を生きる読書法』7月末に完成予定♪その「あとがき」です(^^)
この本を最後までお読みくださったあなたに、心より感謝申し上げます。 『新しい朗読』は、長い年月をかけて、仲間たちとともに育んできた「読書のかたち」です。 本を「読む」という行為の根底には、語り手の体験を、自分の身体と五感と脳を使って追体験することができる、という可能性があり...
2025年6月26日


「わかっている」という誤解
私たちは、ときに、「わかったつもり」で作品について語ったり、感情を込めて読み上げたりしてはいないでしょうか。 『新しい朗読』は、「わかっている」という思い込みをそっとほぐしてくれる営みです。 私たちは朗読で、一つひとつの短編・掌編小説や詩を、 より深く理解すること...
2025年6月17日


朗読ってなんだろうと思ったことのある方へ…「創意工夫した音読」じゃない。朗読はもっとずっとたのしい♪
私はかつて、「朗読」とは、自分の解釈を反映させた読み上げ行為だと思っていました。けれど、いまならはっきり言えます。 本来の朗読は、もっと自由で、さらにたのしい営み です。 そもそも、日本の物語に「語り手」という概念が明確に登場したのは、実はそれほど古いことではありません。 たとえば『竹取物語』や『源氏物語』『平家物語』『南総里見八犬伝』などでは、語る主体が明示されておらず、物語は出来事や事件の連なりとして語られていました。だからこそ、琵琶法師や講談師のように、語り手の役割を朗読者が担うことも可能だったのです。 ところが明治時代になると、西洋小説の影響を受けて、日本文学にも「語り手」という存在を意識する動きが生まれます。坪内逍遥は『小説神髄』でその理論的枠組みを示し、二葉亭四迷は『浮雲』でその実践を試みました。 語り手は虚構世界に生きる独立した存在として描かれる ようになり、 小説の言葉も、「出来事を伝える道具」から「(語り手の)体験とともに生まれるもの」へと変化していきました。 これは朗読にとって、大きな転換点でした。語り手が独立した以上、読み手
2025年5月21日


体験の数だけ音声は生まれる
[体験の数だけ音声は生まれる] 「かなしみ」という言葉は、「悲しみ」「哀しみ」「愛しみ」「美しみ」などさまざまな漢字で表せると、批評家・若松英輔さんがテレビ番組で話していらっしゃいました。 若松さんのこのお話が、心に引っかかっていた記憶と繋がりました。...
2025年5月20日


語り手は現場主義② 山下明生作『はまべのいす』
[語り手は現場主義② 『はまべのいす』冒頭部分のレッスン風景] この日のレッスンでは、山下明生さんの作品に取り組みました。 以下は、『はまべのいす』の冒頭部分です。それぞれの文に番号を付けておきますね。語り手は、ハマさんと名付けましょうか。 ーーーーーーーーーーーーーーーー...
2025年5月18日


語り手は現場主義① なぜ虚構世界が必要なのか?
[語り手は現場主義① なぜ虚構世界が必要なのか?] なぜ、わざわざ虚構世界を創る必要があるのか?なぜ、語り手は「現場主義」なのか? ずいぶん前になりますが、『戦争を知らない世代に平和をどのように伝えていくのか』をテーマに谷川俊太郎さんが語るインタビュー記事を読んだとき、...
2025年5月17日
